2020/11/23

理学部を選んで(その2)

(その1にもどる)博士課程への進学者は約2割で,当初約50人だった同期も10人程になる.学部や修士の友人の多くが卒業し,環境サークルつながりの友人も同様に卒業する.改めて研究メインの日々を実感し,経済的な不安に追われながら論文公表を目指す.この時期は大量に論文を読み,留学生ともよく会話し,英語漬けの日々となる.

博士課程2年次で初めて論文を投稿し,査読を経て3年次の始めについに受理される.教員,周囲,家族のサポートのおかげで初めて研究の醍醐味を知ることができたような気がした.研究航海で感じた"あこがれ"とは明らかに違う経験だった.しかし残念ながら,あまりに遅い論文公表になってしまった.

今度は博士課程修了という節目が待ち受ける.博士論文を提出して晴れて「博士」の称号を得ることは,同時に「学生」の身分を失うことを意味している.学生であれば応募できた様々な支援も修了した瞬間になくなってしまう.博士課程の同期が修了後の進路を決めていくなか,私は無給の研究生として大学に残ることになる.

大学内でパート勤務をしながら研究を進める.経済的な不安は大きくなっていく一方,2本目の論文が受理される.並行して複数の公募に応募し,幸いにも半年間で次の進路が定まる.つくばで1ヶ月研究し,その後高知大で働き始める.これまでを思い返せば本当に有り難い転機だった.

つくば・高知で研究することは,それまで東北大一筋だった私にとって,一気に多数の研究者と知り合う契機になった.特に全国の同期と知り合えたことで,研究のあれこれを相談しやすくなった.関わる研究分野も広くなり,自身の研究の位置付けを改めて考えさせられた.

そして同時に,活発に動ける(世界をフィールドに共同研究を展開していく)研究者には敵わないという気持ちも感じ始める.環境サークルで感じた気持ちとよく似ている.しかし急にあこがれの人にはなれないし,自分らしく研究することにも意味はあるのだと思い直す.

高知で研究を継続し,3本目の論文が受理される.「3本書いたら1人前」というメンターの言葉に,遅まきながらハードルを超えられたように思う.次はいよいよ,高知の先の進路を意識し始める.公募に応募しながら,海外学振や学振PD(2〜3年間奨励費や研究費が得られる)に申請する.

そして今年,縁あって秋田大で働き始めることができた.任期無の研究職であり,1つの節目のように思う.これからは研究だけでなく教育も大きな役割になる.これまでの試行錯誤と同じように,今後も迷いつつ相談しつつ進んでいくのだと思う.

立ち止まって振り返るなら,高校当時の私の興味はやはり漠然としていて,その危うさに気付かないまま大学・学部を選択し,サークル活動を通じて現実とのズレを知ることになった.気候変動に関する政府間パネル(IPCC)を例にとれば,全3つの作業部会(自然科学的根拠・適応策・緩和策)に興味があったようなもので,今では自然科学的根拠に1番の関心がある.

違う大学・学部を選んでいたら,当然異なる人生を歩んでいたと思う.そう考えると高校生の進路選択はとても重要で,自然vs.人間のように単純に決めてはいけないはず.同様に大学生の進路選択も重要で,大学教員という立場は直接・間接的に関わることになる.これまで私がサポートを受けてきたように,今度は私自身がサポートに回ることができたらと思う.

理学部を選んで(その1)

「自然に興味があれば理学部へ,人間に興味があれば工学部へ」そう聞いた高校生の私は,迷うことなく理学部受験を決めた.当時,愛知万博を訪ねたことや京都議定書のニュースに触れたことで,地球環境に興味を持つようになった.もう少し人間に興味を持ってもよかったし(今は興味あり!),理学部では就職の幅が狭まることを真剣に考えてもよかった.

それでどこの大学を受験するか.進学校の雰囲気もあって前期は東大,後期は東北大を志望した(名古屋大は後期の設定がなかった).センター試験を受けて,東大の足切り点数が公表される.およそ5点,足切り点数に達していなかった.前期試験は受けられず,浪人も覚悟して3月の仙台へ.

後期試験の受験会場は暗い雰囲気が立ちこめていて,しかし前期の分も一生懸命筆記試験に臨む.結果発表日の朝,自宅のパソコンから合格者一覧にアクセスし,そこに自分の受験番号を見つける.喜びもつかの間で,すぐに引っ越し準備が始まる.

大学生活がスタートし,理学部地球科学系の入学者約50人と顔を合わせる.化石好きや鉱物好きの人が多い印象で,自分はそのどちらでもなかった.幸いか高校で地学を履修した人は少なく(私も物化),大学の地学に対するスタートラインは大きく違わないようだった.

同じころ部活・サークル選びがあって,「地球環境」に興味の集中していた私は環境活動サークルを見学する.そのサークルで先輩や同期と話すと,私のように理学部の人もいれば,経済学部や工学部の人もいる.地球環境=理学部だった当時の私にとって,現実はイコールではない(地球環境は広い分野に及ぶ)ことを実感して,高校でそう気付いていたら違った進路選択をしたかもしれないと感じた.

そうして進路に若干の迷いを覚えながら,地学関係の講義を受講し,一方で地域や大学の中で環境活動(例えば資源回収やごみ分別)をしていく.学部3年次で地球科学系は岩石鉱物・人文地理・地質古生物にコースが分かれるため,まずその選択を迫られることになる.各コースの実習をひと通り体験してみて,地質調査に一番興味を持てたことから,地質古生物コースを選択する.

しばらくして卒論課題を選ぶ段階になる.ちょうど「過去の環境変動」を扱う課題がいくつかあり,教員の話を聞いた上で「微化石」を主対象とした研究テーマを選択する.それまで微化石というキーワードは十分に知らなかったので,やはり環境変動という言葉に惹かれたのだと思う.

卒論で忙しくなる中,環境サークルの活動も続けていた.その頃感じていたのは,活発に動ける(地域や大学を巻き込むような)人には敵わないなあという気持ちだった.環境サークルは全国にネットワークがあり,そこでは起業家や環境NGOに就職する人もいる.進路に迷いもある中で,環境活動を仕事にすることは向いていないように感じた.

なんとか卒論を提出して,周囲と同じように修士課程に進学する.幸運にも国際的な研究航海に乗船する機会を得て,初めて海外を経験すると同時に世界トップクラスの研究者を目の当たりにする.彼らが目を輝かせて研究する姿に,英語は分からないものの,漠然としたあこがれを感じるようになる.帰国してから周囲に就活という雰囲気が漂いはじめても,それよりも博士課程への進学を希望するようになる.

今振り返れば,英語論文も公表していないのに,とても見通しが甘かったと思う.学振の特別研究員(博士課程において奨励費や研究費が得られる)は不採用Aで,根拠のない期待の分,とても落ち込んだのを覚えている.とはいっても目立った就活はしておらず,そのまま博士課程に進学する.(その2につづく)

2019/06/09

南大洋航海記〜おまけ〜

海で読む本は,海に関係した本にしよう.そう思ってスーツケースに入れた本:コロンブス航海誌,十五少年漂流記,どくとるマンボウ航海記・・・

まずはコロンブス航海誌,彼の最初の航海について日々の記録が綴られています.1492年8月3日から翌年3月15日まで.一方私の航海期間は2018年12月30日から翌年3月15日まで.航海の終了日に加え曜日も一致していて,勝手な親近感を覚えました.

航海前に少し読んでおき,あとは1日ずつ同じ日の航海誌を読む.読み終えたとき,私の航海も終わりを迎えるわけです.

まず驚くのはコロンブスの航海期間の長さ.私の約3倍の224日間です.もちろん陸上で過ごした日々も含まれますが,まさしく大冒険です.コロンブスは律儀に毎日記録を残しています.

海での記録は主に「今日はどの方向にどれだけ進んだか」.今日のような世界地図やGPSもないなか,波や風向きに翻弄されつつ目的である未知の陸地に向かっていきます.乗組員が航程を長く感じないように,実際進んだよりも少なめの距離を報告していたようです.無事に帰れる保証もなく海に出ていた当時の大変さがよくよく感じられます.

コロンブス一行はバハマ諸島やキューバ島を探検しますが,危険の多い航海に比べ陸上が安全なわけではありません.原住民からの大歓迎もあれば敵意をもって迎えられることも.そして身内のはずの乗組員の裏切りまで.莫大な利権がからむ探検航海をコロンブスは生涯に4回行っていますが,常に大きな困難を伴ったようです.

15世紀の航海に比べれば,現在の航海は格段の進歩を遂げています.船内情報で目的地の緯度経度,船のスピードや到着予定時刻まで.コロンブス一行を思えば,長期航海の大変さも少し和らぎます.

さて,並行して十五少年漂流記を読み始めます.こちらの著者はフランスのジュール・ヴェルヌ.今回フランス船に乗船することから話のタネに持ち込みました.

太平洋の無人島に遭難した少年たち.無事に帰る方法を求めながら,島でたくましい生活を始めます.15人もいれば仲違いは起こるもので,しかし帰るためにも少年たちの結束が重要になります.少年たちの出身はアメリカ・イギリス・フランス等ですが,中でもフランスの少年が大いに活躍します.

これはフランス人に人気があるだろう,と思ってフランス船の人たちに聞くと,ヴェルヌは知っているがその作品は知らない,との意外な答え.

その後,原因を本の解説に見つけることができました.どうもアメリカ・イギリスの少年があまり活躍しないため,米英では人気が出なかったそう.一方で日本人には少年の出身は問題でなく,優れた翻訳により作品の質も高まったため,日本で古典として残ったそうな.

最後にどくとるマンボウ航海記について.作者の北杜夫は東北大学出身で,マンボウ青春期には大学の寮生活も記されています.こちらの航海は寄港地が多く,船医としての生活と世界各地の体験談に満ちています.

虚実入り混じったユーモアたっぷりの記述に,航海そのものの楽しみが伝わってきます.船酔いしたらどうするか,船で通用する特殊用語とは,など実用的な面もありました.

読み進めていたコロンブス航海誌も終わりが近づきます.私の航海もそろそろおしまいです.帰国途中,タイのバンコク空港を経由しました.バンコクの寺院ワット・アルンは三島由紀夫「暁の寺」に描かれています.読みたい本がまた増えました.

2019/06/03

JAL50回〜その2〜

跳び飛びの旅も2日目,午後には沖永良部島を離れるので,観光タクシーをお願いしておきました.ひとり旅ですが,3時間で島の名所を案内してもらいます.島独特のサンゴ礁地形やウミガメを見て,樹齢120年を数える日本一のガジュマルも訪ねられました.限られた時間ながらよい経験をしました.

さて帰路のフライトですが,奄美群島のホッピングです.徳之島,奄美大島,そして鹿児島へ.徳之島も奄美大島も初めてですが,空港を出るほどの時間はありません.奄美大島では観光者も多く,すぐ離れるのは残念!ですが,またいつか訪れようという気持ちに変えます.

鹿児島空港でしばらく滞在し,夜に羽田空港に向かいます.着陸の瞬間はなんとも言えない高揚感で,当分飛行機に乗らなくていいなと感じます.翌日友人と会ってから,高知空港へ戻ります.このホッピングツアーで一気に50回に近づきました.

その後は回数を重ねつつ,45回でいよいよ12月へ.回数を稼ぐために福岡―宮崎へと往復します.北九州いのちの旅博物館と宮崎県立美術館へ立ち寄り,ちょっと観光します.宮崎の手羽先やチキン南蛮はおいしかった.

49回となり,最後は12月30日.長期の海外出張のため,高知―羽田を利用します.羽田空港に着陸したとき,50回到達の感慨が湧いてきます.これから海外に行くので出張の始まりなのですが,どこか達成感に包まれた瞬間でした.

なんとか到達した年間50回,やってみると結構大変でした.周りで目指す人がいても,あまりお勧めできません.時間に余裕があれば海外や国内でゆっくり過ごして,50000ポイントで達成する方が優雅です.

しかし敏腕ビジネスマンにならない限り年間50回乗ることはまずないと思うので,(JALのHPには年間100回の会員クラスもありますが・・)一生に一度の経験としては貴重な体験だったと考えています.

50回の搭乗中,JALの都道府県シールも集めていました.CAさんの出身都道府県のシールを頂くのですが,35都道府県を入手しました.高知県のシールを入手したり,宮城県出身のCAさんとお話したり,こちらも小さな楽しみでした.

そんなわけで,2019年は上級会員の恩恵を受けています.優先搭乗やラウンジは少し身の丈に合わない感覚です.飛行機利用時の時間を有効活用できるので,趣味の読書に充てています.さて,次はどこへ行こうかな.〈もどる〉〈おわり〉

2019/06/02

JAL50回〜その1〜

大学時代,帰省の手段には頭を悩ませました.仙台と名古屋,手段はたくさんあります.飛行機,新幹線,高速バス,フェリー,青春18きっぷも試しました.

体力がある内は高速バスもよいですが,そのうち新幹線を使うようになります.時間があるときは,広いスペースで自由に過ごせるフェリーがお気に入りでした.その点,飛行機には縁がありませんでした.早めに予約しないと新幹線より割高だからです.

高知に引っ越し,状況は変わりました.たくさんあった手段の中で飛行機が際立ってきます.新幹線は特急列車で岡山まで行かないと利用できません.関東圏に向かうには羽田空港が便利で,飛行機の利用が増えます.

これまで飛行機を利用するのは研究で海外出張する機会がほとんど.海外に行くとき,航空会社のいわゆる上級会員が優先搭乗を受けたりラウンジに入れたりするのはうわさで知っていました.学生の間はそこまで飛行機に乗る機会もなくうらやましい程度でしたが,ついに上級会員を目指すチャンスが訪れました.

周囲の研究者には公的な出張のみで上級会員に達する人もいますが,私には当てはまりません.自分でお金を出して,飛行機に乗る.言い換えれば修行が必要になります.JALの場合は,年間50000ポイントか50回が到達目標です.

50000ポイントは主に海外など長距離フライトで稼いで,50回は国内の短距離フライトで回数を重ねるのが一般的なようです.1月〜12月のカウントなので,修行するなら早めがベストです.2018年3月の時点で私はどちらを目指すべきか,どちらにも可能性のあるポイントや回数でした.

いずれにしても費用はかかりますが,海外旅行をするか国内か.海外なら長期滞在したいけど,ちょっと難しそう.国内で回数を稼ぐ方法について探ります.

JALではちょうど"跳び飛びの旅"という飛行機ホッピングツアーが企画されていました.2日か3日で8回〜16回飛ぶツアー.公式には飛行機が好きな人のために,ですが,私のような修行する人の利用も多いようです.

羽田発の8回ツアーで,高知羽田の往復も加えると2日で10回の計算.これでも経験のない多さなので,怖々申し込んでみます.朝早く高知から羽田に向かうと,次の目的地は徳島.四国に戻ってしまっています.一体何をしているんでしょう.

初めての徳島空港,しかし乗り継ぎは30分しかありません.ちょっと写真を撮り,福岡空港に向かいます.福岡ではおにぎりをつまみ,鹿児島空港へ.この時点でだいぶ非日常を感じています.

初日最後のフライトは鹿児島から沖永良部島へ.初めて聞く島の名前です.鹿児島県の離島の一つで,奄美群島と呼ばれています.小型の飛行機で沖永良部島へ到着すると,南国の雰囲気です.ホテルへバスで向かうと,同じルートの人もいるようです.大浴場に浸かると海が目に入ります.離島にいることを実感しつつ,フライトの疲れを癒します.
〈つづく〉

2019/05/25

南大洋航海記〜その4〜

〜その4 マリオン航海後半〜
目的の海域に到達すると,ワッチ(当直)体制が始まります.24時間船を動かすために必要な時間配分であり,ワッチ毎に6人のグループが組まれます.船内環境はフランス語が多いため,ワッチの半分がフランスの研究者になるよう配慮されます.

私は0時〜4時と12時〜16時に働くワッチとなりました.生活リズムを変えるのは難しいですが,睡眠や食事時間で調整を進めます.研究者の役割は堆積物の肉眼記載,堆積物の半割作業,そして非破壊分析です.

まずは地点周辺の海底地形を調査し,最適な地点を選定します.残念ながら多くの議論はフランス語で交わされますが,堆積物の積もるスピードをいかに見積もり選定するか,その現場を体感しました.

長尺コアは船の右舷に据えられ,まずは海面に水平に保たれます.それから90度回転させて海面に垂直にします.採泥の始まりです.研究者の仕事は海底から採取された試料が再び右舷に置かれてから,まずは取り扱いのために1.5mずつにカットします.

堆積物の直径は大きめ(こぶし大)なのでカットは力仕事です.それから専用の機械で半割し,肉眼記載や非破壊分析を行います.今回は計4地点での採泥ですが,最長は70 mにも達する満足のいく堆積物の採取ができました.

航路の途中にフランスの海外県のクローゼー諸島を通過しました.船の周辺に鳥が多くなってきて,なんとペンギンもやってきました.船上から双眼鏡をのぞくと島にペンギンのコロニーが見えるようで,にわかには信じられませんでしたが,すさまじい数のペンギンが生息していることを実感しました.

海底の堆積物は変化に富んでいます.見た目に分かるのは色の違いで,白や緑や黒色や,その変化は明瞭なときも遷移的なときもあります.肉眼記載では,色の他に堆積物の粒度や構造を観察します.堆積物を間近で見る機会は貴重なので,特徴的な変化がないかをチェックします.

私のワッチでは主にフランスとドイツの研究者と一緒に作業をしました.息が合った仕事をするまでなかなか大変ですが,数日もすると仲良くなれます.最終地点での堆積物を採取すると,さらに一丸となって試料処理に取り組みます.幸い早いペースでワッチ体制を終えることができました.

レユニオン島への帰路は約5日あり,十分な時間があります.首席研究者を中心に採取した堆積物の基礎情報をまとめます.今後数年かけて進める研究の最初の段階にあり,研究者はワクワクしています.船内の見学や打上げも合間に行われました.

レユニオン島へ到着し,乗船研究者で集合写真を撮影します.私にとっては白鳳丸とマリオン2つの航海をやり遂げた瞬間でした.多くの人と関わり,新しい経験ばかりの75日間でした.それから帰国の途につきますが,いよいよという気持ちです.2019年はじめて日本に戻ります.〈おわり〉
〈その3へもどる〉

2019/05/21

南大洋航海記〜その3〜

〜その3 マリオン航海前半〜
白鳳丸航海を終え,私は再びオーストラリアからモーリシャスに向かいます.船で10日間かけて横断したインド洋,今度は飛行機です.要する時間はわずか30分の1,約8時間で到着です.驚きの速さですね.目的地のレユニオン島はモーリシャスの少し南西,飛行機で1時間です.空港に到着すると,ホテルのドライバーが迎えに来てくれました.右側通行,左ハンドル,初めてのフランス語圏に来たことを実感します.

フランス船マリオン・デュフレーヌに乗船する目的は,より長い海底堆積物の採取です.白鳳丸で採取できる堆積物の最長が15 mとすれば,マリオンのそれは70 mに達します.70 mという長さは魅力的です.例えば1,000年に2 cm堆積物が積もるとすれば,15 mなら過去75万年間ですが,70 mなら過去350万年間に及びます.

一般的に,長い堆積物の採取はIODP船のような掘削船に頼らざるを得ず,しかしそのためには10年にも及ぶ研究提案や審査を経ねばなりません.より素早く良質な堆積物を採取する観点で,マリオンの採泥システムは世界随一です.

もう一つ,フランス船に乗船するメリットはフランスの海外領土にあります.マリオン・デュフレーヌという船の名前自体が探検家であるように,フランスは多くの海外県を有しています.南大洋ではクローゼー諸島やケルゲレン諸島が相当します.排他的経済水域が適用されるため,日本の船ではアクセスが容易ではありません.入手困難かつ長い堆積物を採取するため,今回は日本から4名の研究者が乗船しました.

船内はフランス語環境,次に英語が続きます.一応英語が共通語ですが,船内の掲示などはほとんどフランス語です.白鳳丸が日本語環境なのと似ています.嬉しいのはフランス料理,ワインも出てきます.前菜,メインディッシュ,チーズ,フルーツとフルコースです.白鳳丸は定食スタイルなので,雰囲気の違いは大きいです.

今回の航海は目的の海域まで5日,堆積物の採取に5日,帰路に5日かかる3部構成です.まずは試料処理のいろはを学びます.顔合わせも済ませると,比較的時間に余裕が生まれます.ポーカーやダーツを楽しむあたり,フランス人の陽気さがうかがえます.

私が白鳳丸の話をすると,フランスの首席研究者はマリオンについて話してくれました.白鳳丸は基本的に研究船ですが,マリオンはフランスの海外県を巡り,人員や食料を補給する船としても活躍しているそうです.

海外県であるクローゼ諸島やケルゲレン諸島に永住者はいませんが,研究所が設けられています.加えて,少人数ですが海外県を巡る観光ツアーも開催されています.そのため,観光客を含む乗船者をもてなす雰囲気が多分にあるそうです.研究者として乗船しながら,そうしたもてなしを受けることができるのは非常にありがたいと感じます.

マリオンの全長は120 m,一方で白鳳丸は100 mです.船体が大きいためにマリオンの揺れは少なく,船酔いもほぼありませんでした.各研究者が準備を整え,いよいよ目的の海域に到達します.
〈その2へもどる〉〈その4へつづく〉

2019/05/19

南大洋航海記〜その2〜

〜その2 白鳳丸航海後半〜
モーリシャスから南下,EEZを抜けるとまた観測が始まります.南大洋を特徴づけるのは緯度方向の海水温変化です.南緯45~60度に南極周極流という強い海流があります.北半球のように遮る大陸が存在しないため,地球を一周する唯一の海流です.周極流は低緯度の熱が高緯度に運ばれるのを妨げ,その南北で大きな水温差を生み出します.

つまり周極流を通過すると海水温は一気に低下します.これはもちろん海洋に棲息するプランクトンに大きな影響を与えます.周極流の過去から現在に至る変動を調べることは,海洋の生物量や南極域の熱量を考える上で非常に大切です.しかし,その周極流を研究するには困難が伴います.風と流れが強いため船体が安定せず,観測を行うことが難しいのです.海況が安定するわずかなタイミングを狙って,観測を行うことになります.

今回は採泥,ドレッジ,そして反射法探査が行われました.それぞれ海底の堆積物,海底の岩石,そして海底下の地形を調べることが目的です.堆積物や岩石から過去の地球環境や地形の成り立ちを調べることができます.特に堆積物に含まれるプランクトンの化石は,私の主な研究対象です.

海底下の地形について,例えば月の地形は衛星観測から詳細に分かっていますが,地球の海底についてはほとんど調べられていません.堆積物から地形まで,海底の基礎的な情報が揃って初めて,IODPなどのさらなる海底掘削が可能になります.私が今まで経験してきたIODPの前段階を知ることとなり,たいへん勉強になりました.

周極流を通過するまで船体は大きく揺れますが,さらに南を目指します.海水温や気温は下がっていき,マイナスにさえなります.蛇口からの海水も冷たく,緯度の大きな変化を実感します.

ここで鉛直方向に海水を採取するCTD観測が行われました.市販されている深層水は,深さ200 mくらいの海水が用いられているのが普通です.一方,今回の海水採取は真の深層水,数1000 m級の深度から採取します.その海水の温度や酸素の量など性質を詳細に調べます.南極周辺では冷たくて塩分の高い海水が沈み込んでいますが,その様子を追跡できる可能性もあります.

もう1つは海氷の採取です.海水が冷えてできる海氷は,周囲の塩分や生態系にも影響を与えています.今回は海氷が少なく採取は危ぶまれたのですが,なんとか漂う氷を回収することができました.初めて目にする海氷には感動しました.

さて,いよいよ航海も終盤です.南大洋から北へオーストラリアを目指します.とはいえ暇になることはなく,これまで採取した試料やデータの解析,報告書の作成を進めます.堆積物を半分に割って,肉眼で記載を行います(写真).約10 mの堆積物を並べると,目の前に過去数10万年間の記録があり壮観です.

ついにオーストラリアへ到着し,乗船研究者で航海の成功を祝います.採取できた試料を用いた今後の研究が期待されます.周囲の研究者が帰国の準備を進めるなか,私は次の航海へ準備を始めます.つかの間の陸上を満喫し,フランス船マリオン・デュフレーヌに向かいます.
〈その1へもどる〉〈その3へつづく〉

2019/05/18

南大洋航海記〜その1〜

研究航海はいつ行われるか?世界中だと毎日ですが,南極や北極を研究する場合,その時期はほとんど限定されます.冬には風が強まり,海氷も発達するため,観測等が困難になるからです.つまり南極周辺の海,南大洋を研究するなら南半球の夏(12〜2月)に航海を行うのがベストです.そうした事情で日本の研究船白鳳丸とフランスの研究船マリオン・デュフレーヌがほぼ同時期に航海を行うこととなり,今回私はその両方に乗船する機会を得ました.

私のこれまでの乗船経験は2度とも国際的な掘削航海プログラム(IODP)でした.航海期間は2ヶ月と長く,乗船研究者は10カ国以上から集う形式です.これに対して白鳳丸は日本,マリオンはフランスが独自に有する船であり,乗組員や船内の言語は各国の言葉に従います.期間は約1ヶ月で2ヶ月を超えることはあまりないようです.私にとってIODP以外の航海経験は初めてであり,また2つの船を乗り継ぐ経験はおそらく最初で最後だろうと思います.それが航海記をまとめる大きなモチベーションです.

〜その1 白鳳丸航海前半〜
2018年も年の瀬に高知を離れ,オーストラリアのパースに向かいました.南北方向のフライトは時差も少なく比較的楽に感じます.入国審査官に航海目的と伝えると「捕鯨船じゃないか?」と確認され,日本の捕鯨活動を思わぬところで意識させられました.到着日は大晦日の朝,休みたいところですが早速停船中の白鳳丸へ向かいます.まずは船内の物品整理,やることは多くあります.今回は偶然にも日本の船「海鷹丸」も隣に停泊しており,お互いの船を訪問したり乗船研究者同士で壮行会を開いたりもできました.海外にいながら大勢の日本人で南大洋に向かうことに,どこか心強さを感じました.

白鳳丸航海の前半に乗船するメンバーは修士学生が中心で,私には中堅の立場が求められます.私の主な役割は海水をろ過し,小さなプランクトンを採集することです.船には表層の海水を汲み上げるポンプがあり,船内の蛇口をひねると海水が出てくる仕組みです.船が移動しながらもサンプリングができ,特別な時間や費用をかけることなく貴重な試料の採取ができます.蛇口に水道メーターを取り付け,特殊な網を設置します.これから毎日,蛇口をひねり試料採取(観測)を続けることになります.

こうした作業を船内で行うには1つ問題があります.それは船が揺れることです.物が動かないようにロープで固定する必要があり,最大の問題は船酔いです.船が出港して間もなく,比較的揺れの強い日がありました.気持ちとしては観測を始めたいものの,船酔いでそれどころではありませんでした.何度か乗船経験を重ねても,やはり船酔いは避けられないと諦めます.学生にも船酔いがみられ,それぞれ酔い止めを飲んで休むことになります.揺れが収まると,いよいよ観測開始です.とはいうものの,海の現場観測について経験は多くありません.試行錯誤して,なんとか試料採取を進めていきます.

続いて船内生活について紹介します.まずは食事,IODP船に乗船したときはアメリカ料理であり,私の体にはとても合いませんでした.今回は日本の船であり,ご飯がいつでも食べられる,それだけで結構うれしいものでした.加えて2日に1度,湯船に浸かることができ,お風呂好きの私にとってポイントが高かったです.そして日本語を話して過ごすことができる.海外船では日常が外国語になるため,知らず知らずにエネルギーを使います.船は半閉鎖環境であり,些細なことでストレスがたまりがちです.母国の船に乗船することは,言葉の苦労を和らげる観点で大きなメリットだと感じました.

オーストラリアからインド洋を西に横断し,寄港地モーリシャスが近づいてきます.モーリシャスの排他的経済水域(EEZ)に入ると基本的に観測を行うことはできません.研究のためには観測を続けたいですが,仕方ない気持ちで観測を終えます.モーリシャスに寄港して上陸すると,その暑さが際立ちます.リゾート地として有名なモーリシャスですが,港はそうではなく,現地の人が多いです.市場など周囲を半袖短パンで歩いて回ります.モーリシャスでは白鳳丸航海後半の乗船者と合流しました.本航海の重要観測はこちらで,これから南極付近へ向かいます.乗船研究者一同での打合せが始まり,密度の濃い1ヶ月になりそうです.
〈その2へつづく〉

2018/12/28

太平洋のシーソー

シーソーに小さい頃よく乗りました.両端の人の位置や重さなどでシーソーは動きを変えます.支点力点作用点,シーソーの力学です.もっと大きなスケール,地球の気候変動にもシーソーはたとえられます.バイポーラーシーソーといって,北半球と南半球で温暖化や寒冷化のタイミングが異なる現象が知られています.

今回私が扱うのは,東西方向の地球のシーソーです.現在の太平洋の熱帯付近では,貿易風(東風)の影響によって西に暖かい水,東に冷たい水が存在しています.つまり東西で等しい温度の線を引くと,西に向かって深くなります.西側に傾いたシーソーですが,仮に太平洋のシーソーと呼びます.

このシーソーの傾きは,数年スケールで変化しています.エルニーニョ現象やラニーニャ現象です.エルニーニョ時には貿易風が弱まり,東西太平洋の温度差が小さくなります.つまり,通常よりもシーソーの傾きが緩やかになります.ラニーニャ現象はこの反対です.こうした太平洋のシーソーが,過去の温暖期や寒冷期にどう変化したかという興味が今回の研究の動機です.

今から約1500万年前の温暖期,二酸化炭素濃度は現在よりも高い430ppmに及んだと考えられています(Super et al., 2018).その後の寒冷期で約300ppmに減少し,南極氷床も発達したと報告されています.この温暖期と寒冷期を挟むように海水温の記録(微化石の酸素同位体比)を復元しました.

約0 mと200 mの東西海水温データを基に,私は従来通りの解析を進めました.それは水平方向や垂直方向に温度の差(勾配)を求めて(図左のオレンジと水色),気候変動の前後でどう変化したかを調べることです.
しかし考察を進める中で,私が議論したいことは傾きのあるシーソーなのに,直線的な差だけで議論することに何かずれを感じました.試しに斜めの温度差を求めてみますが(図右の紫と緑色),そんな解析をしている先行研究は見当たりません.つまり斜めの温度勾配が持つ意味を初めて考えなければなりませんでした.

並行して,太平洋のシーソーのイメージを図化できないか考えていました.現在の観測データに等温線を引くとシーソーに見えるのだから,約1500万年前のデータにもひとまず等温線を引いてみました.そして時系列で等温線を作成すると,どうやら等温線の傾きや本数が変化しているように見えました.注意して解析を進めると,先に述べた斜めの温度勾配と等温線の変動が関係することに気付きました.

約1500万年前の温暖期に斜めの温度勾配は減少し,等温線の傾きは緩やかになっていた.すなわちシーソーの傾きが緩やかになったと考えられます.一方で寒冷期には斜めの温度勾配が増加し,等温線の傾きは急になっていた.つまりシーソーの傾きがきつくなったと考えられます.

今回の研究成果を確からしいとするには,今後さらに証拠が必要です.それは私が用いた海水温の記録(酸素同位体比)が厳密には塩分の影響を受けること,そして東と西のわずか2地点で議論していることが理由です.異なる海水温の指標を併用すること,東西太平洋のデータを追加することが重要です.しかし少なくとも今回の研究で,太平洋のシーソーを評価するための新たな見方を提示することができました.

雑誌論文(Matsui et al., 2017)や学会発表を通じて,少なからず「その見方は今までなかった」と言っていただけました.複雑さを求めると見落としてしまうシンプルさ,という意見もありました.コペルニクスの地動説が180度見方を変えたならば,もちろん比べることもできませんが,斜めに考えた今回の研究は45度見方を変えたことになります.見方の転換ができたのは,データにじっと向かい合ったことが大きいと考えています.

公園のシーソーは力学の原理を教えてくれます.地球のシーソーを調べることは気候変動について重要なヒントを与えてくれそうです. 

2018/11/11

5000枚のEvernote


情報やアイデアをどこに保存しておくか.以前は手帳をはじめ紙媒体が基本でしたが,パソコンの発達でデジタルに保存する選択肢が生まれました.

梅棹忠夫著「知的生産の技術」で推奨されたのは京大カード方式.私も一度試しましたが,カードのアナログ情報とパソコンのデジタル情報が分散し,断念しました.

そこで使用したのはデジタル情報のカードであるEvernote.使い始めて5年,カードは5000枚を超えました.60ページノートに貼れば約80冊に相当します.

情報データベースはその数が多いほど威力を発揮するといわれます.特に以前の情報を見直すことで,新旧のアイデアが混じり合い着想が発展します.

今回は5000枚の割合をチェックしてみました.大まかに見て研究関連が46%,趣味関連が44%と近くなりました.

研究関連の中身は先行研究をはじめインプットが半数以上,残りは自分の着想と論文として公表済の情報です.

論文ひとつ仕上げるのに150以上のカードが必要でした.着想のカードは約400枚なので論文のタネふたつ分になります.

趣味の方は気になったメモ(インプット),読書メモ,思い付きが3分の1ずつ.研究ほどインプットは必要でなく,体験や経験から思い付きが生まれます.

割合をチェックできたところで,これが最適かどうか.研究面では公表済を増やすこと,趣味面は思い付きを形にすることが必要です.

デジタル時代は情報が氾濫する分,いかに取捨選択するかが鍵になります.その情報を活用し,私のブログも更新を重ねます.

2018/05/27

博士取得から1年

末は博士か大臣か.昔は同等だったかもしれないですが,今は大きな差があります.博士となっても就職への道は険しく,ポスドク問題と呼ばれています.博士の学位取得まで最低9年,大学を卒業し学士になるまで(4年)の倍以上の時間を要します.しかし多くの企業が求めているのは修士(6年)までであって,博士への門戸は広くありません.あまり専門的すぎて,企業での新人教育になじまないのが1つの理由です.

私の場合,博士取得が近づくなかで就職活動をしていなかったことは明らかでした.同期の幾人かはすでに行く先を決め,そうでなくても就活をしていました.私は片手で数えられるほどしか応募しておらず,決まっていないのも当然でした.アカデミックに残るためには業績も足らず(当時筆頭1本),といってどんな企業を希望するかも定まっていない.博士は取得できたものの行く先がない状態で,研究生としての生活が始まりました.

研究生という立場はやっかいで,普通博士卒の人を想定していません.まず研究室に所属するため,授業料を払わないといけません(大学によって制度に違いあり).しかし正規の学生ではないため学生向けの支援は当てはまりません.大学内でアルバイトをしながら,残りの時間で研究する.大学で9年間かけた学位の価値とはいったい何だろうか.そうまでして自分がやりたいことは何なのか考えさせられました.

苦しい選択も少しはプラスの面がありました.アルバイトでは大型化石を扱ったり,別の研究分野にも触れました.限られた時代の微化石,自分は細分化した研究をしているに過ぎないと気付かされました.2本目の論文が受理されて,研究の醍醐味を感じ始めてもいました.研究室を中心とする周囲のサポートも大きかったです.この1年を乗り越えればどうにかなる,そんな願いを持ちながら進めていました.

研究の一環で2ヶ月の乗船航海にも参加しました.進路に不安があるなかで日本を離れることに抵抗もありましたが,実際には2度目の乗船であり,微化石のグループでは中堅の役割を求められました.英語でコミュニケーションを取りながら,研究データを集めレポートを執筆する毎日.初めての乗船に比べればやはり成長がある.自信を持っていいと感じました.

1年を待たずして転機となったのは,つくばへ移動するという案です.異なる研究機関に籍をおくことで,研究のネットワークを広げ次のステップにつなげる.現状を脱するためにつくばへの移動準備を始めました.そんな中,かねて応募していた高知大学の公募に内定をいただきます.研究生の状況からすれば,つくばに移動するだけでも大きな環境の変化でしたが,さらに高知へ移動するとはまさに予想もしていませんでした.

高知大学の公募は南極を対象にした大きな研究プロジェクト.私のこれまでの研究は熱帯域であり,対象とする地質時代も同一ではありません.微化石研究の基礎を今まで身につけたとすれば,応用していくことが求められています.生来の性格ながら,やはりアピールが弱い自分です.大きなプロジェクトの一員となり,私はどう貢献できるかを示さなければ次につながりません.ここで着実に成果を残すことで,関心分野や研究コミュニティも一気に広がります.

博士取得後に研究者を志す人の進路は,任期なしの大学教員や研究員,任期付きの教員や研究員,学振特別研究員など.私の業績(筆頭論文2本)では,任期なしはもちろん任期付き研究者への採用も簡単ではありません.業績が少ないなかで特任教員に進むまでには,周囲のサポートが絶対的に必要でした.そして少なくないチャンスを与えられていると感じています.研究者になるまでを階段に例えるなら,博士から任期付きの研究者になるまでが一段.そして任期なしに移行するのがより大きな一段.自分のはしごをもう幾段か高くして,次の段を目指します.

2017/03/01

英語を英語のまま

高校の英語の授業1回目.先生はひとつの目標を定めた.「英語を英語のまま理解しよう.」中学英語を学び終わったばかりの私には,十分に意味が呑みこめなかった.電子辞書を持ち歩き,当面は大学受験のために勉強した.センター試験で一定の点数には達しても,英語を話せるか?といえばNOだった.

英語への見方を変えたのは,ネイティブによる大学の授業だった.丁寧に英文を日本語に直したり,英作文をしたりするのではなく,WEBの英文記事や洋書の多読を活用した内容.辞書を引くことよりも,多くの英語に触れることを優先していた.

授業を受けてから実際に英語を活用するまでには,さらに時間を要した.外国での短期間の研究や研究室での留学生との意思疎通,必要に迫られて英語に向かった.帰国子女でもなければ海外旅行の経験もない.生きた英語に初めて触れ,「英語を英語のまま」という意味を考え始めた.

まずは大学受験で求められる英語力.多くは英語を日本語に,日本語を英語にするトレーニング.一方で現実にコミュニケーションをとるための能力.英語を聞いてから話すまでに日本語を介していては,応答が遅くなる.コミュニケーションに適するのは「英語を英語のまま」.

現実に英語を使うために,私が重視するトレーニングは次の3つ.
(1)日本語英語交じりよりは,英語だけの教材に向かう.簡単な単語だけの洋書もある.英語→日本語,日本語→英語の流れを英語→→英語に近づけられる.
(2)英語に触れる量を増やす.なぜ日本語が話せるか.それは生まれたときから日本語に触れているから.コミュニケーションをとりたい気持ちがあるなら,質よりも量.
(3)母国語の力を伸ばす.日本語環境で生まれた人は,英語がどれだけ得意でも日本語よりは運用できない.日本語能力が英語能力の上限値を決めているはず.

私がTOEICで900点を超え,英語を英語のままに近づけたのは(3)が大きく影響している.英語のトレーニングを通じて英語特有の表現方法を知る.同時に日本語が得意とする表現の仕方に気付く.ことばを面白いと思い,英語と日本語をどちらも磨いていく.

例えば英語は結論が文のはじめに来て,日本語は最後に置かれる.論理的な文章は英語の方が得意.英語は常に主語を意識するけれど,日本語はそうでない.言語の違いは背景の文化や思想が異なることも意味する.ことばを知ると,単なるコミュニケーション以上に他者の理解につながる.

日本語がはじめにあって,英語は二の次という考え方は,藤原正彦さんや斎藤孝さんの著書にもみられる.小学生から英語を教えるよりも,国語の時間を増やすべきという意見に賛同する.日本語能力が低下すれば,さらに英語が苦手になってしまうかもしれない.

英語を英語のまま理解することは簡単でない.けれど最低限のコミュニケーションをとるための英語力は,幸いにも年齢に関わらず習得可能らしい『英語学習は早いほど良いのか(岩波新書)』.高校の先生が定めた目標は,3年では難しくも到達のチャンスは一生ある.

2016/12/31

本100冊からの10選









2016年に読んだ本はおよそ100冊.5年前には年間数十冊だったのを思うと,読むスピードは数倍になっている.100冊のリストを眺めて,大雑把にジャンル分けしてみる.

小説:25     エッセイ:15     社会(政治,経済,歴史):16     古典:11     ことば:9     科学:7     美術:6     災害(戦争,公害):5     知的生産:3     アニメ:3

科学はわずか7冊で,小説やエッセイが多い.私が読書に求めているのは専門知識ではなく,幅広い考え方や体験のよう.趣味として読んでいるのは「ことば」や「美術」.教養としては「社会」や「古典」.上記10のジャンルから,1冊ずつ紹介してみる.

小説:百年の孤独/ガルシア=マルケス
何世代にもわたる一つの家系の物語.百歳を優に超える人物も登場し,現実と非現実の区別がつかなくなる.ひたすら独り言をいう人物もあり,ひとつの文が3ページに及んだのは印象的.傑作として扱われるこの本は,一読しただけでは計り知れない世界を示してくれる.

エッセイ:国境のない生き方/ヤマザキマリ
古代ローマと現代の日本をお風呂でつなぐテルマエロマエ.マンガを読んで,発想の面白さに舌を巻いた.しかし著者の半生には,マンガ以上の魅力があった.イタリアと日本で育まれた人生観は,たいへんな教養と経験に支えられている.地球人がぴったりくる,豊かな人生.

社会:18歳からの民主主義/岩波新書編集部
選挙権が18歳以上に改正されるのを機に,18歳~101歳がメッセージを寄せる.姜尚中さんは政治学者でありながら,在日韓国人として選挙権が与えられないことに触れる.今年亡くなられたむのたけじさんは,人生を5つのフェーズに分け,どの段階でも政治と関わりがあると語る.年齢立場は違えど,まずは関心を持つことの大切さを知る.

古典:オイディプス王・アンティゴネ/ソポクレス
スフィンクスの問い,エディプスコンプレックスなどは現在でも通用することば.何千年も受け継がれてきた物語は,人間の普遍的な性質を教えてくれる.人の疑いを解くことは難しく,悲劇は繰り変えされる.しかし絶対と定められた運命にも,抗わずにはいられない.

ことば:ちいさな言葉/俵万智
わが子は天才ではないだろうか.きっとどんな親も一度は抱く感情である.ことばのプロである著者でさえ,わが子の視点には驚きを隠せない.「揺れながら前へ進まず子育てはおまえがくれた木馬の時間」短歌と相性の良いツイッターも始めながら,息子と過ごすみずみずしい日々.

科学:想像するちから/松沢哲郎
サルよりも人間に近いチンパンジー.その行動や生態を研究することで,どこまでが人間と共通し,どこからが人間に特有の性質なのかを明らかにできる.チンパンジーは片足を失っても絶望しない.その日暮らしだからだ.人間は絶望してしまう.しかし明日を想像する力があるから,希望も持つことができる.人間とは何かを考えさせてくれる.

美術:気まぐれ美術館/洲之内徹
画廊を経営した著者が記すのは,絵の辿る数奇な運命.一枚の絵にまつわる人間模様,絵から生まれる人間関係もある.美術館で鑑賞する作品だけが絵ではない.人から人の手へ移動する,そんなケースが実は多いのかもしれない.絵と画家の魅力を存分に伝えている.

災害:三陸海岸大津波/吉村昭
明治,昭和の大津波を中心とした記録文学.東日本大震災より前に出版されている.昭和の大津波において,明治の経験は十二分には活かされなかった.地震の発生時間が違うから,津波は来ない,という迷信のため,避難は遅れてしまった.来る災害は防くには,経験に学ぶだけでは難しい.

知的生産:知的トレーニングの技術/花村太郎
様々な文献を示していて, 独学にはよいかもしれない.読書術では全集通読が勧められる一方,「万巻の書をまえにして,全部読破してやろうなどという考えは放棄せよ」とも語る.私が読んだ100冊は,図書館の棚一列にも及ばない.だからこそ,何を読むか.

アニメ:言の葉の庭/新海誠
雨の日にだけ出会える二人.万葉集の句が想いを代弁する.大ヒット中の「君の名は。」は映画と小説でほぼ同内容を扱っている.「言の葉の庭」は映画が40分ほど,しかし小説は2時間以上の内容がある.梅雨時に観たい,読みたい作品.

オリンピック選手は,4年間のトレーニングを一日単位で計画するらしい.読書は明確なゴールがあるわけでなし,メダルがもらえることもない.しかし日々の読書が積み重なれば,相当量のトレーニングにはなる.来年は何を読もうか.

2016/12/10

献血回数=年齢












はじめて献血したのはおよそ20歳,献血バスが大学へ来たときだった.簡単な問診と検査の後,400mlの全血献血.自らの血液型を調べていなかった私は,そこで初めてA型と知ることができた.

以来献血は年数回,27歳の今日まで続けている.献血ルームには飲み物,アイス,マッサージ機まであり,快適な環境が整えられている.献血回数が10回に達すると,記念品として”おちょこ”をもらうこともできた.

そんな私よりも,たくさん献血をする人がいる.友人の一人は,居住地に限らず,出先の献血ルームにも足を運ぶらしい.全国にネットワークがあり,献血する意思さえあればできるとはいえ,一目置いている.

献血をする意味を私なりに考えると,まずは健康の確認がある.簡易的ながら,血液に関する数値(赤血球数,コレステロールなど)を知ることができる.もうひとつは,幸い健康である私が,血液を必要とする方の,助けになることができる.

これまで2回ほど,うまく献血できなかったことがある.冷え症により,血液が流れにくいためもあるらしい.献血に不安を覚える人は,成分献血(血しょう,血小板)も選択肢に入れてほしい.400mlよりは,成分献血が体への負担は少ない.

献血ルームでは,心が和む場面にも出会う.壮年の夫妻が揃って検査を受けていると,妻は血管が細めで,献血を見合わせることになった.夫はそれを励まし,妻は待合室で彼を待つ.二人の健康さ,また幸せさが感じられる.

血液は長期保存することができないため,常に一定数の献血が求められる.そのため,複数回献血する人には特典が用意されている.私が頂いた10回記念の他,30回,50回記念がある.60歳以上+50回だと感謝状が贈呈されるらしい.

献血者数が減少する,寒い冬.ひとりでも,誘い合っても,はたちでも,60歳以上でも.献血を重ねる人が増えるならば,記念の”おちょこ”がお酒を一段おいしくするかもしれない.

2016/12/02

手帳のある年ない年












「できる人は手帳を使っている.」とはよく目に入る言葉.週間・月間・年間のページから予定を把握し,過去の反省を未来に活かせるならば,誰もが「できる人」になれるに違いない.

私も”時間を管理しよう!”という意気込みで手帳を買うまでは良いものの,およそ半年経つと,ただのメモ帳になってしまう.スマホやパソコンに入力する情報が増える今日,手帳との使い分けは工夫が求められる.

手帳の活用法として私が実践するのは,二時間を一単位として,週末に来週の予定を記入する方式(坪田一男:理系のための研究生活ガイド).一週間毎に達成率をチェックすれば,予定を減らしたり,増やしたりできる.

メモ帳としての活用であれば,日々の着想を手帳に書き留め,後でまとめてPCに入力する.スペースを自由に使える手書きのメリットと,パソコンの検索性を考えると,二度手間の価値はあると感じている.

あとは手帳を選ぶだけ.これまで印象に残っているのは,次の3つ.まずは「ほぼ日手帳」,どのページにも,ひらめきの素になるような言葉が綴られている.デザインを選ぶのも楽しい.続いて「モレスキン手帳」,紙質すばらしく,様々書き留めたくなる.

そして「朝活手帳」,スケジュール欄が朝の4時~9時に限られている.そもそも早起きできず,途中で断念.しかし朝起きることのメリット,可能性は十分認識できた.今は7時起きだけれど,なんとか6時を目指したいところ.

試行錯誤の中で,私の好みとしては,時間目盛りが縦のバーチカル手帳.時間のイメージとして,横よりも縦に流れる感覚がある.2017年の手帳は,シンプルな無地の表紙.日々の積み重ねを,よい一年につなげていく.

スマホの手帳機能で,十分代用できると考えたこともあった.しかし,紙の手帳が有する”偶然性”は捨てがたい.パラパラと手帳をめくるだけで,思いがけずアイデアが浮かぶことがある.デジタルにもアナログにも偏向せず,「できる人」への道のりは続く.

2016/10/23

50ページ読書

初めはみかん箱に入れていた本.一つ本棚を買って,安心していたらも一つ二つ.入りきらない本が棚の上に積まれている.「積ん読」は,およそ読書について回る.

昨年まで,読書ペースは月に数冊.たまに古本屋で10冊買えば,積みはどんどん増えていく.怖々棚を眺めれば,数年前に購入して未読の本,途中で挫折した本が並ぶ.趣味とするほどには,読書習慣はなかった.

きっかけは,図書館で借りた講演CD.藤本義一の「言葉と文字」を聴いた.-----20代で作家を目指した彼は,一日に原稿用紙10枚を書き,50ページ本を読むことにした.毎日少なくとも一時間を,自身のために使うことに決めた.

1日1時間も,1年で365時間になる.24時間で割れば,およそ15日にもなる.そうして彼は偶然,医学の本で"人間はどれだけ徹夜できるか"を知る.どんな人間も「15日」徹夜すると,死ぬか狂うかするらしい.

徹夜の連続はできないが,1日1時間ならできる.ゆっくり狂うことができる.自身の習慣を続ければ,きっとプロになれると,彼は自信をつけた.-----私は作家を目指すわけではないけれど,妙に説得力のある習慣を,どうも身につけたくなった.

1日50ページが,私には約1時間.始めてすぐ,試練が訪れる.飲み会からの帰り,ちょうどよく酔って,そのまま寝てしまいたくなる.ギリギリ「ここで寝たら三日坊主!」と思い留まり,寝床で50ページ読んだ.

一度習慣になれば,50ページはさほど苦にならなくなる.旅先で手持ちの本を通読したときは,書店で購入して読むこともあった.「狂う」までの目標,50ページを360回,予想よりも早く到達することができた.

ゆっくり"15日間徹夜した"効用は様々感じられる.まず,自分が敵わない人物を知ること.例えば井上ひさし,蔵書は約20万冊.部屋の床が目の前で抜けるとは,一体どんな光景で,感覚なのだろうか.

次に,読んだ本のネットワークができること.今読んでいる本が他とどういう関係にあるか,ある程度つかまえられる.そして,自分にとって読む意義があるかを見極められること.今のところ理解できずとも,意義のある本は確かにある.

メリットに比べて,おかしいのは「積ん読」が減っていないこと.読書ペースが上がっているのに,むしろ増えてないかと疑うくらい.藤本義一は35年かけて4000冊を読んだらしい.本棚が,想像できない...

2016/09/23

地下鉄ぐらし

仙台に2つ目の地下鉄が開通して,はや9か月.生活をがらりと変える選択肢に対して,沿線に引越し通学する人も珍しくない.私の利用は月数回に止まるが,以前のバスに比べ,天候に影響されない便利さを実感している.

西端の八木山駅は日本一標高の高い地下鉄駅として知られるが,隣の青葉山駅はホームの深さが特徴的である.地上とホームの高低差は100m以上あり,エレベータを除けば5回ほどエスカレータ/階段を利用しなければならない.

利用者の多くはエスカレータに乗って,階段を使う人はまばらである.しかし私は運動のひとつと思って,なるべく階段を利用する.少なくとも学生のうちは,むやみに楽するのは控えておこうという考えも手伝っている.

そう考えるきっかけは,高校の部活,遠征中にあった.席が十分に空いている電車内,私を含め学生は並んで席に座った.すると引率の先生に,「お前ら年でもないのに座るな」と注意された.ひと回り上の先生が立っていては,学生は従うよりほかない.

エスカレータや歩く歩道を見て思い出すのは,ドラえもんの映画「のびたとブリキの迷宮」.機械文明に依存した人間は遂に歩行ができなくなり,常にロボットに頼って生活する.22世紀を待たずとも,あり得る未来だと感じてしまう.

階段からホームに降り,電車に乗る.本を広げながら車内を眺めると,半数はスマホを手にしている.読書を強いるつもりはないが,どうも私は,皆がスマホに熱中する光景が苦手だ.画面を通じた世界と現実の世界,顔を向ける時間はどちらが長いのか.

ガラケーが普及し始めたころ,メール機能に依存してしまう人が問題となった.しかしそれ以上に,老若男女がスマホを手放せない現状は,どこか怖ろしい.本来有機体である人間の注意が,無機体である機械に向かい過ぎてしまうことを危惧する.

スマホ利用が高じれば,姿勢にも悪影響となる.中には首を90度曲げた人もおり,目も当てられない.筋肉博士と呼ばれる石井直方さんは,「歩きスマホは周囲の迷惑となる」というアナウンスに,「自分の首の骨も痛める」の追加を提案している.

電車は10分ほどで目的地に到着し,地上へと向かう.改めて,地下鉄ダイヤの正確さ,速さを想う.この便利さは,階段を歩く不便さを補って余りあるし,読書する機会も与えてくれる.路線2つの仙台で,浅田次郎「地下鉄に乗って」を読むのも面白い.

2016/06/15

プランクトンのすむところ

プランクトンと聞くと,いったい何を思い浮かべるでしょうか.「ミジンコ」や「ミカヅキモ」と聞けば,顕微鏡でみた覚えがあるかもしれません.プランクトンとは,水中や水面に浮いて生活する,小さな生物の総称です.

私が研究しているのは,海にすむプランクトンの一種,浮遊性有孔虫(ゆうこうちゅう)の化石です.そんな小さなプランクトンを研究して,一体何がわかるのか.ひとつは過去の年代(示準化石),もうひとつは過去の環境(示相化石)です.

例えば恐竜の化石がみつかれば,恐竜が絶滅した6600万年前よりも古いことがわかります.一方サンゴの化石がみつかれば,昔は暖かく浅い海であったことがわかります.小さなプランクトンを調べることで,過去の年代や環境を推定することができます.

有孔虫を用いて,当時の海水温を復元することもできます.ここで大切なのが,有孔虫の生息深度(すむところ)です.つまり,どの水深の海水温を反映しているのか.今回掲載された論文(Matsui et al., 2016)は,有孔虫のすむところを扱っています.

現在生きている浮遊性有孔虫は,表層種(50m以浅),中層種,深層種(100m以深)と水深に応じてすみわけを行っています.化石となった有孔虫のすむところは,複数種の化学分析によって,相対的に表層種,中層種,深層種と区別することができます.

今回対象とした浮遊性有孔虫 D. venezuelana は長い期間,広い範囲の海洋にすんでいたため,よく古環境復元に用いられる種です.しかし,"すむところ"には謎がありました.3400~2800万年前には表層種であったのに,2400~600万年前には中深層種に属しているのです.

つまりD. venezuelanaは,2800~2400万年前に"すむところ"を深くした可能性があります.しかしこれまで,「いつ」深くなったのか,「なぜ」深くなったのかはわかっていませんでした.そこでD. venezuelanaの化学分析を行い,あわせて有孔虫の群集を調べました.

まず,複数種の化学分析により,D. venezuelanaの"すむところ"が約2630万年前に表層から中深層へと深くなったことが分かりました.2800~2400万年前の「いつ」深くなったかを特定することができました.
さらに有孔虫の群集を調べた結果,総数が多い群集(図右)から,総数が少ない群集(図左)に変わり,群集の組成にも差がみられました.こうした群集の変化から,「なぜ」深くなったのかを考えることができます.

今回用いた化石はペルー沖の試料であるため,現在のペルー沖について考えてみます.通常は赤道域の貿易風によって,湧昇流(深層の水が表層へと運ばれる)が発生しています.そうして深層の栄養が表層にもたらされるため,プランクトンの総数が多くなります(図右).

しかしエルニーニョ現象で貿易風が弱まると,湧昇流が弱くなり,結果としてプランクトンの総数が減ります(図左).現在の海洋と約2630万年前の海洋を同一に議論することはできませんが,群集の変化に基づくと,湧昇流が徐々に弱まった可能性があります.

D. venezuelanaの"すむところ"が深くなったことと,湧昇流の弱まりを合わせて「なぜ」を考えます.表層にもたらされる栄養が減少したことで,そこにすんでいたD. venezuelanaには栄養が足りなくなった.栄養を求めて,D. venezuelanaは"すむところ"を深くした,と考えることができます.

今回の研究は,次のような点に役立ちます.(1)D. venezuelanaを用いて海水温などを復元する場合に,どの水深の情報なのかが明確になる.(2)約2630万年前に起きた環境変動について理解する助けになる.

小さなプランクトンがすむところを変える.一見小さなことに思えます.しかしプランクトンを食べる生き物をたどっていけば,いずれはクジラなど大きな生物にも影響します.小さなプランクトンに秘められた過去.興味をもたれた方は以下の書籍をどうぞ.

おすすめ図書:
0.1ミリのタイムマシン/須藤斎著
ミクロな化石、地球を語る/谷村好洋著

2016/05/26

アウトプットのすすめ









ここ1か月で,6つの美術館を訪れた.作者のエネルギーが集中した作品を鑑賞するのは,やはり見る側にも多くのエネルギーを必要とする.インプットが重なると,どうもアウトプットの圧が高まるようで,自分でも何か描きたくなってきた.

インプットとアウトプットの関係は,片側交互通行の道路だと私はとらえている.どちらか一方だけ車を流し続けると,すぐにもう一方が渋滞してしまう.交通整理を行う人の判断で,片側を流し,続いて反対側を流す必要がある.

情報の洪水と呼ばれる現在,とかくインプットがアウトプットより多くなりがちである.テレビや新聞だけでなく,スマホひとつで多くの情報にアクセスできる.一方で情報の速度は加速し,今日のニュースが一週間後も報道される可能性は小さい.

情報の海に流されてしまうと,人は泳ぐことができなくなる.インプットがあまりに多ければ,人は考えることをやめてしまう.流されないためには情報の取捨選択が求められ,その上で初めて情報の発信が可能になる.

反対に,アウトプットがインプットを上回るのはどうだろう.限られた水を様々に用いようとすれば,自然使い回さなければならなくなる.ネットニュースやハウツー本の一部に散見するような,内容の薄い発信になってしまう.

インプットとアウトプットの割合を近づけることが,私の目指すところである.インプットを取捨選択するとともに,アウトプットを意識して行う.このブログも,アウトプットのひとつとして書いている.

『知識を鍛えあげるには,常にアウトプットして,人とコミュニケーションすることが必要』とはヤマザキマリ著「国境のない生き方」にあった.教養を身につけるだけでは不十分で,日常的に考えを発信する必要がある.

コンピューターが人間の仕事を奪いつつある現代において,歩く辞書は以前ほど重用されない.人工知能による創作も時間の問題ではあるが,人間らしさとは何か,アウトプットにこそ求められるのではないかと私は考えている.

ブログを書くことで,文章力を少しずつ磨いているように感じる.絵に自信は全くない私も,描くことが何よりもの訓練と信じて,絵を描いてみたい.そうして,インプットに応じたアウトプットを心掛けていく.