2015/04/18

語学ボランティア











10年に1度の国連防災世界会議.
過去2回は横浜と神戸で開かれ,3度目の開催都市に仙台が選ばれた.
国連の会議を仙台に誘致したのは初めて.
規模の大きさから,語学ボランティアが募集された.

3月半ばの開催日程に対して,募集されたのは半年以上前.
市役所で簡単な面接を受け,以降7回の研修を受けた.
基本的な接遇マナーから,被災地を訪れるところまで.
津波被害を受けた小学校を見学し,語り部のお話を伺った.

ボランティア活動に参加したのは全部で4日間.
最初は土曜の仙台駅.4日間のうちで最も英語を話した日.
駅構内で改札通過をサポートしたり,会場までのシャトルバス案内.
切符をなくされた方がおり,対応に苦慮することもあった.

続く2日間は本体会場,国際センターでの活動.
IDカードを発行してもらい,手荷物検査を受けて会場に入る.
当然ながら英語を話せるスタッフが多く,語学ボランティアの需要はあまり多くない.場所を聞かれたり,写真撮影をお願いされる程度.
むしろ,国際会議の雰囲気を味わうことが中心になった.
パンフレットは英仏,スペイン語とアラビア語で,日本語はなかった.

公式な歓迎パーティへのシャトルバスを案内する業務では,
誰が招待されているんだ?という質問を受けた.
参加者リストなど手元にはなく,招待されていない!と残念がる人もいた.
こういうときに,『私も招待されてないんだよ,残念』とでも言えるユーモアがあったなら.仙台駅での切符の件を含め,どうやって場を和やかにするか,英語以外の力が必要なのだと感じた.

最終日はエルパークでのパブリックフォーラムのお手伝い.
日本語のセッションなので,外国の人は少なめ.
ボランティア業務というよりは,スタッフの淑女と話す機会になった.
年齢を重ねても,活躍できる場が仙台には多くあることを教えてくれた.

今回の語学ボランティアでは,様々な人が関わっていることが面白かった.
県外からボランティアのために仙台を訪れている人もあり,
お年を召された方から会社員,主婦,学生まで300人余.
加えて多国籍の参加者の様々なアクセントの英語を聞くこと.
アフリカ圏の人々に出会うことは,初めてだったかも.

仙台市では,今回の会議に間に合うよう国際センターを増設した.
地下鉄東西線の開通も控え,今後国際会議の誘致を積極的に行うそう.
今回のようなボランティアがまた募集されるかは分からないけれど,
貴重な経験ができる機会を期待したい.

2015/04/13

国語=Japanese












日本語検定のHPに,日本語について解説したコラムがある.
そのコラムの中で印象に残っているのは,次の内容.

学生が英訳するときに,国語を英語ではなんというか先生に尋ねる.
先生はJapaneseと教えてくれる.
学生としては,国語=母国語(Mother tongue)だったのが,国語=日本語に気付かされる.英語の枠組みでは,Japanese,一つの言語として扱われる.

母国語としての日本語に気付かされる面白いコラム.
私自信が国語に興味をもったきっかけは,小学校のころ.
「一つの花」という小説.
戦争中,お父さんが奥さんと子どもを一人置いて,戦地に赴く.
別れるときに,お父さんがコスモスの花を一つ持ってきて子どもに渡す.
お父さんは戦争のため,帰ってくることはできないけれど,
子どもが大きくなったころ,コスモスの花は群生する.

なぜお父さんはコスモスの花を子どもに渡したのか,みんなで考えた.
なぜペットやおもちゃではなかったのか.
私が感想文に書いたのは,これから子どもは一人で生きないといけない.
コスモスの花は最初は一つだけれど,種を飛ばすことで他のコスモスと仲良くなって,二つ以上になることができる.
お父さんは子どもにも,友達と仲良く過ごしてほしい,という願いをこめた.

小学校の先生が花マルをくれ,私の中で国語がずっと好きになった.

高校になると古文漢文を学んで,現代文とは違う魅力に気付いた.
よく覚えているのは「隗より始めよ」という故事.
将軍が隗に,才子を集めるにはどういう手段が的確か尋ねる.
隗は「まず私を優遇することから始めなさい.私より優秀な人が『隗ですら優遇されるなら,私はもっと優遇される』と考えて集まります.」と答える.
将軍は納得し,まず隗を優遇する.
結果として,中国各地から優秀な人材が集まって国が栄える.

現在では,まず身近なことから,言い出した人から始めよ,と使われる.
ひとつの故事ことわざについて,由来を知ると面白い.
そもそも国語の文章に残る話は,歴史家や文筆家の手によって取捨選択された内容.ベストセラーをはじめとする様々な書物が著されても,長い年月に耐える魅力や含蓄をもつ文章だけが古典になる.
それを思うと,国語,日本語を学ぶ面白さがますます深くなった.

2015/04/07

5thTOEIC












高校まで英語は"好き"レベル.
英語圏の人に会う機会もほとんどなかった.
漠然と,洋画を字幕なしで楽しめたらいいな,なんて思ってた.

大学1,2年の英語では,アメリカ人講師の授業が印象深かった.
洋書の多読をすすめたり,HPを活用したり.
高校までの,英語を(に)日本語に(を)訳す授業との違いが面白かった.
けれど授業が終わってしまうと,継続して英語を勉強することはなかった.

転機になったのは初めての海外行きが決まったとき.
パスポートこそあったけれど,心の準備など何もできていない.
入国審査で通過に手間取り,別の入口を案内されたのは苦い思い出.
習うより慣れろと,2ヶ月間英語の環境に飛び込んだ.

海外でどれくらい英語力がつくかと,事前に初めてのTOEICを受けていた.
Listening, Readingとバランスよく670点.
さて帰国後受験してみると,Readingが大幅に伸びるも,Listeningは微増.
英語圏で,たくさん英語を聞いたのに!
2ヶ月は,英語耳となるには短いのかもしれないと感じた.

このころから研究室に留学生が仲間入りし,
日本にいながら英語を(少し)話す環境が始まった.
英語力をつけるというより,コミュニケーションで精一杯.
TOEICは1年後の受験が割引になることもあって,半年後に3度目の受験.
Totalの得点はほぼ変わらず,再びListeningとReadingのバランスがとれる.
一所懸命に留学生と会話したのが,Listening力upにつながったのかも.

ただ,2→3回目は点数の通りに伸び悩みを感じていた時期でもあった.
半年後に受けても明らかな実力アップは望めず,1年後に切り替えた.
この1年間に新しく取り組んだことが2つある.
1つはPodcast. 手に入れたiPadで,英語のラジオやビデオに触れ始めた.
CNNニュース,BBC 6 minute English,いろいろチャレンジしたけれど,日本語⇔英語の番組よりは,英語音声だけのPodcastを購読するようになった.
英語を積極的に聞く習慣がつき始めた.

もう1つは東北大で2か月間開かれた課外授業"Practical English Course".
DiscussionやPresentationを主にした授業で,先生もネイティブのベテラン.
課外授業だけあって参加学生の英語に対する意欲は高かった.
半数近くが留学経験をしていることに,とても刺激を受けた.
最後に10分間Presentationをしたことは,大きな自信になった.

そうして4回目の受験.
Listeningの音声が始まってすぐ,「聴けている!」という感覚を持った.
スピードはPodcastで聞いているレベル.
Readingを落ち着いてとき,800点の壁を超えたような感覚があった.
スコアを受け取るとうれしく,同時に新しい目標を設定する気持ちになった.

英語を使う機会を増やそうと,ボランティアに参加した.
いつかの「洋書の多読」をチャレンジし始めた.
日々目にする論文はむろん英語.
特に洋書の多読は,「緋文字」「高慢と偏見」など
海外の名作を知るきっかけにもなった.

そして先日受けた5回目のTOEIC.
前回より少しでも上がっていれば,という期待を超えて,夢の905点.
高校の先生が言っていた「英語を英語のまま理解する」姿勢がつかめた実感.
ここからはTOEIC中心ではなくて,WritingやSpeakingに転換するつもり.
「スコアはあるけどしゃべれない」のは笑えないから,
書く話す機会を大切に,これからも英語を楽しみたい.