2016/03/11

読書欲

読書を食事に例えるならば,まず適量が望まれる.読まなさ過ぎは,栄養不足になってしまう.読み過ぎは,ある程度まではおいしいけれど,度を越すとまずい.

量よりは,バランスに気を配るべきかもしれない.偏食ー偏見は避けるべきであって,食わず嫌いは自分の視野を狭めてしまう.幕の内弁当を選ぶのと,ファストフードで済ますのでは,自然と違いが表れてくる.

そういう私の読書歴は,それほど長くない.小さい頃,絵本はよく読んだらしいものの,中学高校では数十冊しか読了していない.絵本と文字中心の本には,境目があった.再び本を読み始めるのは,大学入学後.斎藤孝著「読書力」がその入口であった.

「読書力」を手にしたのは,高校時の課題図書として.感想文を書くのに,私は50ページも読めなかった.それが悔しかったのか,大学1年生にして,再びその本を開き始めた.本を読まない人が多い現状を嘆き,読書のメリットについて,多くの例を紹介していた.

斎藤孝は読書”力”の定義として,「文庫100冊,新書50冊」を挙げた.そして,彼の薦める100冊が,巻末のリストに並べられていた.本1冊読むのにも苦労していた私にとって,まさに桁違いの”力”は,あこがれになり,目標となった.

はじめは短編から読み進めた.「O・ヘンリ短編集」はユーモアに富んでいて,読書が実に楽しく感じられた.中編で印象に残るのは,「太陽の子」や「天平の甍」.時代の異なる出来事について,本は多くを語ってくれる.長編の「アンナ・カレーニナ」を読み終えたときは,1500ページに勝る重みがあった.

そして大学4年生になって,読書”力”を獲得した.私にとって100冊とは,100枚のきっぷを手に入れるようなものであった.短編から長編まで本が分かれるように,近距離きっぷから長距離きっぷまで.見落としがちだったり,見られなかったりしたものを,目にすることができた.

読書に伴うよろこびとして特筆すべきは,並行して読む複数の本に,偶然同じテーマが扱われているとき.そして本の世界の記述が,現実の出来事と関わるとき.読書の継続の先には,セレンディピティが待っている.

読書”欲”が強くなった私は,本棚に積ん読(つんどく)をしている.数えるとおよそ80冊はある.食べ物では傷んでしまうところ,本には賞味期限がないから,心配していない.