2017/03/01

英語を英語のまま

高校の英語の授業1回目.先生はひとつの目標を定めた.「英語を英語のまま理解しよう.」中学英語を学び終わったばかりの私には,十分に意味が呑みこめなかった.電子辞書を持ち歩き,当面は大学受験のために勉強した.センター試験で一定の点数には達しても,英語を話せるか?といえばNOだった.

英語への見方を変えたのは,ネイティブによる大学の授業だった.丁寧に英文を日本語に直したり,英作文をしたりするのではなく,WEBの英文記事や洋書の多読を活用した内容.辞書を引くことよりも,多くの英語に触れることを優先していた.

授業を受けてから実際に英語を活用するまでには,さらに時間を要した.外国での短期間の研究や研究室での留学生との意思疎通,必要に迫られて英語に向かった.帰国子女でもなければ海外旅行の経験もない.生きた英語に初めて触れ,「英語を英語のまま」という意味を考え始めた.

まずは大学受験で求められる英語力.多くは英語を日本語に,日本語を英語にするトレーニング.一方で現実にコミュニケーションをとるための能力.英語を聞いてから話すまでに日本語を介していては,応答が遅くなる.コミュニケーションに適するのは「英語を英語のまま」.

現実に英語を使うために,私が重視するトレーニングは次の3つ.
(1)日本語英語交じりよりは,英語だけの教材に向かう.簡単な単語だけの洋書もある.英語→日本語,日本語→英語の流れを英語→→英語に近づけられる.
(2)英語に触れる量を増やす.なぜ日本語が話せるか.それは生まれたときから日本語に触れているから.コミュニケーションをとりたい気持ちがあるなら,質よりも量.
(3)母国語の力を伸ばす.日本語環境で生まれた人は,英語がどれだけ得意でも日本語よりは運用できない.日本語能力が英語能力の上限値を決めているはず.

私がTOEICで900点を超え,英語を英語のままに近づけたのは(3)が大きく影響している.英語のトレーニングを通じて英語特有の表現方法を知る.同時に日本語が得意とする表現の仕方に気付く.ことばを面白いと思い,英語と日本語をどちらも磨いていく.

例えば英語は結論が文のはじめに来て,日本語は最後に置かれる.論理的な文章は英語の方が得意.英語は常に主語を意識するけれど,日本語はそうでない.言語の違いは背景の文化や思想が異なることも意味する.ことばを知ると,単なるコミュニケーション以上に他者の理解につながる.

日本語がはじめにあって,英語は二の次という考え方は,藤原正彦さんや斎藤孝さんの著書にもみられる.小学生から英語を教えるよりも,国語の時間を増やすべきという意見に賛同する.日本語能力が低下すれば,さらに英語が苦手になってしまうかもしれない.

英語を英語のまま理解することは簡単でない.けれど最低限のコミュニケーションをとるための英語力は,幸いにも年齢に関わらず習得可能らしい『英語学習は早いほど良いのか(岩波新書)』.高校の先生が定めた目標は,3年では難しくも到達のチャンスは一生ある.