2018/12/28

太平洋のシーソー

シーソーに小さい頃よく乗りました.両端の人の位置や重さなどでシーソーは動きを変えます.支点力点作用点,シーソーの力学です.もっと大きなスケール,地球の気候変動にもシーソーはたとえられます.バイポーラーシーソーといって,北半球と南半球で温暖化や寒冷化のタイミングが異なる現象が知られています.

今回私が扱うのは,東西方向の地球のシーソーです.現在の太平洋の熱帯付近では,貿易風(東風)の影響によって西に暖かい水,東に冷たい水が存在しています.つまり東西で等しい温度の線を引くと,西に向かって深くなります.西側に傾いたシーソーですが,仮に太平洋のシーソーと呼びます.

このシーソーの傾きは,数年スケールで変化しています.エルニーニョ現象やラニーニャ現象です.エルニーニョ時には貿易風が弱まり,東西太平洋の温度差が小さくなります.つまり,通常よりもシーソーの傾きが緩やかになります.ラニーニャ現象はこの反対です.こうした太平洋のシーソーが,過去の温暖期や寒冷期にどう変化したかという興味が今回の研究の動機です.

今から約1500万年前の温暖期,二酸化炭素濃度は現在よりも高い430ppmに及んだと考えられています(Super et al., 2018).その後の寒冷期で約300ppmに減少し,南極氷床も発達したと報告されています.この温暖期と寒冷期を挟むように海水温の記録(微化石の酸素同位体比)を復元しました.

約0 mと200 mの東西海水温データを基に,私は従来通りの解析を進めました.それは水平方向や垂直方向に温度の差(勾配)を求めて(図左のオレンジと水色),気候変動の前後でどう変化したかを調べることです.
しかし考察を進める中で,私が議論したいことは傾きのあるシーソーなのに,直線的な差だけで議論することに何かずれを感じました.試しに斜めの温度差を求めてみますが(図右の紫と緑色),そんな解析をしている先行研究は見当たりません.つまり斜めの温度勾配が持つ意味を初めて考えなければなりませんでした.

並行して,太平洋のシーソーのイメージを図化できないか考えていました.現在の観測データに等温線を引くとシーソーに見えるのだから,約1500万年前のデータにもひとまず等温線を引いてみました.そして時系列で等温線を作成すると,どうやら等温線の傾きや本数が変化しているように見えました.注意して解析を進めると,先に述べた斜めの温度勾配と等温線の変動が関係することに気付きました.

約1500万年前の温暖期に斜めの温度勾配は減少し,等温線の傾きは緩やかになっていた.すなわちシーソーの傾きが緩やかになったと考えられます.一方で寒冷期には斜めの温度勾配が増加し,等温線の傾きは急になっていた.つまりシーソーの傾きがきつくなったと考えられます.

今回の研究成果を確からしいとするには,今後さらに証拠が必要です.それは私が用いた海水温の記録(酸素同位体比)が厳密には塩分の影響を受けること,そして東と西のわずか2地点で議論していることが理由です.異なる海水温の指標を併用すること,東西太平洋のデータを追加することが重要です.しかし少なくとも今回の研究で,太平洋のシーソーを評価するための新たな見方を提示することができました.

雑誌論文(Matsui et al., 2017)や学会発表を通じて,少なからず「その見方は今までなかった」と言っていただけました.複雑さを求めると見落としてしまうシンプルさ,という意見もありました.コペルニクスの地動説が180度見方を変えたならば,もちろん比べることもできませんが,斜めに考えた今回の研究は45度見方を変えたことになります.見方の転換ができたのは,データにじっと向かい合ったことが大きいと考えています.

公園のシーソーは力学の原理を教えてくれます.地球のシーソーを調べることは気候変動について重要なヒントを与えてくれそうです. 

2018/11/11

5000枚のEvernote


情報やアイデアをどこに保存しておくか.以前は手帳をはじめ紙媒体が基本でしたが,パソコンの発達でデジタルに保存する選択肢が生まれました.

梅棹忠夫著「知的生産の技術」で推奨されたのは京大カード方式.私も一度試しましたが,カードのアナログ情報とパソコンのデジタル情報が分散し,断念しました.

そこで使用したのはデジタル情報のカードであるEvernote.使い始めて5年,カードは5000枚を超えました.60ページノートに貼れば約80冊に相当します.

情報データベースはその数が多いほど威力を発揮するといわれます.特に以前の情報を見直すことで,新旧のアイデアが混じり合い着想が発展します.

今回は5000枚の割合をチェックしてみました.大まかに見て研究関連が46%,趣味関連が44%と近くなりました.

研究関連の中身は先行研究をはじめインプットが半数以上,残りは自分の着想と論文として公表済の情報です.

論文ひとつ仕上げるのに150以上のカードが必要でした.着想のカードは約400枚なので論文のタネふたつ分になります.

趣味の方は気になったメモ(インプット),読書メモ,思い付きが3分の1ずつ.研究ほどインプットは必要でなく,体験や経験から思い付きが生まれます.

割合をチェックできたところで,これが最適かどうか.研究面では公表済を増やすこと,趣味面は思い付きを形にすることが必要です.

デジタル時代は情報が氾濫する分,いかに取捨選択するかが鍵になります.その情報を活用し,私のブログも更新を重ねます.

2018/05/27

博士取得から1年

末は博士か大臣か.昔は同等だったかもしれないですが,今は大きな差があります.博士となっても就職への道は険しく,ポスドク問題と呼ばれています.博士の学位取得まで最低9年,大学を卒業し学士になるまで(4年)の倍以上の時間を要します.しかし多くの企業が求めているのは修士(6年)までであって,博士への門戸は広くありません.あまり専門的すぎて,企業での新人教育になじまないのが1つの理由です.

私の場合,博士取得が近づくなかで就職活動をしていなかったことは明らかでした.同期の幾人かはすでに行く先を決め,そうでなくても就活をしていました.私は片手で数えられるほどしか応募しておらず,決まっていないのも当然でした.アカデミックに残るためには業績も足らず(当時筆頭1本),といってどんな企業を希望するかも定まっていない.博士は取得できたものの行く先がない状態で,研究生としての生活が始まりました.

研究生という立場はやっかいで,普通博士卒の人を想定していません.まず研究室に所属するため,授業料を払わないといけません(大学によって制度に違いあり).しかし正規の学生ではないため学生向けの支援は当てはまりません.大学内でアルバイトをしながら,残りの時間で研究する.大学で9年間かけた学位の価値とはいったい何だろうか.そうまでして自分がやりたいことは何なのか考えさせられました.

苦しい選択も少しはプラスの面がありました.アルバイトでは大型化石を扱ったり,別の研究分野にも触れました.限られた時代の微化石,自分は細分化した研究をしているに過ぎないと気付かされました.2本目の論文が受理されて,研究の醍醐味を感じ始めてもいました.研究室を中心とする周囲のサポートも大きかったです.この1年を乗り越えればどうにかなる,そんな願いを持ちながら進めていました.

研究の一環で2ヶ月の乗船航海にも参加しました.進路に不安があるなかで日本を離れることに抵抗もありましたが,実際には2度目の乗船であり,微化石のグループでは中堅の役割を求められました.英語でコミュニケーションを取りながら,研究データを集めレポートを執筆する毎日.初めての乗船に比べればやはり成長がある.自信を持っていいと感じました.

1年を待たずして転機となったのは,つくばへ移動するという案です.異なる研究機関に籍をおくことで,研究のネットワークを広げ次のステップにつなげる.現状を脱するためにつくばへの移動準備を始めました.そんな中,かねて応募していた高知大学の公募に内定をいただきます.研究生の状況からすれば,つくばに移動するだけでも大きな環境の変化でしたが,さらに高知へ移動するとはまさに予想もしていませんでした.

高知大学の公募は南極を対象にした大きな研究プロジェクト.私のこれまでの研究は熱帯域であり,対象とする地質時代も同一ではありません.微化石研究の基礎を今まで身につけたとすれば,応用していくことが求められています.生来の性格ながら,やはりアピールが弱い自分です.大きなプロジェクトの一員となり,私はどう貢献できるかを示さなければ次につながりません.ここで着実に成果を残すことで,関心分野や研究コミュニティも一気に広がります.

博士取得後に研究者を志す人の進路は,任期なしの大学教員や研究員,任期付きの教員や研究員,学振特別研究員など.私の業績(筆頭論文2本)では,任期なしはもちろん任期付き研究者への採用も簡単ではありません.業績が少ないなかで特任教員に進むまでには,周囲のサポートが絶対的に必要でした.そして少なくないチャンスを与えられていると感じています.研究者になるまでを階段に例えるなら,博士から任期付きの研究者になるまでが一段.そして任期なしに移行するのがより大きな一段.自分のはしごをもう幾段か高くして,次の段を目指します.