2019/05/21

南大洋航海記〜その3〜

〜その3 マリオン航海前半〜
白鳳丸航海を終え,私は再びオーストラリアからモーリシャスに向かいます.船で10日間かけて横断したインド洋,今度は飛行機です.要する時間はわずか30分の1,約8時間で到着です.驚きの速さですね.目的地のレユニオン島はモーリシャスの少し南西,飛行機で1時間です.空港に到着すると,ホテルのドライバーが迎えに来てくれました.右側通行,左ハンドル,初めてのフランス語圏に来たことを実感します.

フランス船マリオン・デュフレーヌに乗船する目的は,より長い海底堆積物の採取です.白鳳丸で採取できる堆積物の最長が15 mとすれば,マリオンのそれは70 mに達します.70 mという長さは魅力的です.例えば1,000年に2 cm堆積物が積もるとすれば,15 mなら過去75万年間ですが,70 mなら過去350万年間に及びます.

一般的に,長い堆積物の採取はIODP船のような掘削船に頼らざるを得ず,しかしそのためには10年にも及ぶ研究提案や審査を経ねばなりません.より素早く良質な堆積物を採取する観点で,マリオンの採泥システムは世界随一です.

もう一つ,フランス船に乗船するメリットはフランスの海外領土にあります.マリオン・デュフレーヌという船の名前自体が探検家であるように,フランスは多くの海外県を有しています.南大洋ではクローゼー諸島やケルゲレン諸島が相当します.排他的経済水域が適用されるため,日本の船ではアクセスが容易ではありません.入手困難かつ長い堆積物を採取するため,今回は日本から4名の研究者が乗船しました.

船内はフランス語環境,次に英語が続きます.一応英語が共通語ですが,船内の掲示などはほとんどフランス語です.白鳳丸が日本語環境なのと似ています.嬉しいのはフランス料理,ワインも出てきます.前菜,メインディッシュ,チーズ,フルーツとフルコースです.白鳳丸は定食スタイルなので,雰囲気の違いは大きいです.

今回の航海は目的の海域まで5日,堆積物の採取に5日,帰路に5日かかる3部構成です.まずは試料処理のいろはを学びます.顔合わせも済ませると,比較的時間に余裕が生まれます.ポーカーやダーツを楽しむあたり,フランス人の陽気さがうかがえます.

私が白鳳丸の話をすると,フランスの首席研究者はマリオンについて話してくれました.白鳳丸は基本的に研究船ですが,マリオンはフランスの海外県を巡り,人員や食料を補給する船としても活躍しているそうです.

海外県であるクローゼ諸島やケルゲレン諸島に永住者はいませんが,研究所が設けられています.加えて,少人数ですが海外県を巡る観光ツアーも開催されています.そのため,観光客を含む乗船者をもてなす雰囲気が多分にあるそうです.研究者として乗船しながら,そうしたもてなしを受けることができるのは非常にありがたいと感じます.

マリオンの全長は120 m,一方で白鳳丸は100 mです.船体が大きいためにマリオンの揺れは少なく,船酔いもほぼありませんでした.各研究者が準備を整え,いよいよ目的の海域に到達します.
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2019/05/19

南大洋航海記〜その2〜

〜その2 白鳳丸航海後半〜
モーリシャスから南下,EEZを抜けるとまた観測が始まります.南大洋を特徴づけるのは緯度方向の海水温変化です.南緯45~60度に南極周極流という強い海流があります.北半球のように遮る大陸が存在しないため,地球を一周する唯一の海流です.周極流は低緯度の熱が高緯度に運ばれるのを妨げ,その南北で大きな水温差を生み出します.

つまり周極流を通過すると海水温は一気に低下します.これはもちろん海洋に棲息するプランクトンに大きな影響を与えます.周極流の過去から現在に至る変動を調べることは,海洋の生物量や南極域の熱量を考える上で非常に大切です.しかし,その周極流を研究するには困難が伴います.風と流れが強いため船体が安定せず,観測を行うことが難しいのです.海況が安定するわずかなタイミングを狙って,観測を行うことになります.

今回は採泥,ドレッジ,そして反射法探査が行われました.それぞれ海底の堆積物,海底の岩石,そして海底下の地形を調べることが目的です.堆積物や岩石から過去の地球環境や地形の成り立ちを調べることができます.特に堆積物に含まれるプランクトンの化石は,私の主な研究対象です.

海底下の地形について,例えば月の地形は衛星観測から詳細に分かっていますが,地球の海底についてはほとんど調べられていません.堆積物から地形まで,海底の基礎的な情報が揃って初めて,IODPなどのさらなる海底掘削が可能になります.私が今まで経験してきたIODPの前段階を知ることとなり,たいへん勉強になりました.

周極流を通過するまで船体は大きく揺れますが,さらに南を目指します.海水温や気温は下がっていき,マイナスにさえなります.蛇口からの海水も冷たく,緯度の大きな変化を実感します.

ここで鉛直方向に海水を採取するCTD観測が行われました.市販されている深層水は,深さ200 mくらいの海水が用いられているのが普通です.一方,今回の海水採取は真の深層水,数1000 m級の深度から採取します.その海水の温度や酸素の量など性質を詳細に調べます.南極周辺では冷たくて塩分の高い海水が沈み込んでいますが,その様子を追跡できる可能性もあります.

もう1つは海氷の採取です.海水が冷えてできる海氷は,周囲の塩分や生態系にも影響を与えています.今回は海氷が少なく採取は危ぶまれたのですが,なんとか漂う氷を回収することができました.初めて目にする海氷には感動しました.

さて,いよいよ航海も終盤です.南大洋から北へオーストラリアを目指します.とはいえ暇になることはなく,これまで採取した試料やデータの解析,報告書の作成を進めます.堆積物を半分に割って,肉眼で記載を行います(写真).約10 mの堆積物を並べると,目の前に過去数10万年間の記録があり壮観です.

ついにオーストラリアへ到着し,乗船研究者で航海の成功を祝います.採取できた試料を用いた今後の研究が期待されます.周囲の研究者が帰国の準備を進めるなか,私は次の航海へ準備を始めます.つかの間の陸上を満喫し,フランス船マリオン・デュフレーヌに向かいます.
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2019/05/18

南大洋航海記〜その1〜

研究航海はいつ行われるか?世界中だと毎日ですが,南極や北極を研究する場合,その時期はほとんど限定されます.冬には風が強まり,海氷も発達するため,観測等が困難になるからです.つまり南極周辺の海,南大洋を研究するなら南半球の夏(12〜2月)に航海を行うのがベストです.そうした事情で日本の研究船白鳳丸とフランスの研究船マリオン・デュフレーヌがほぼ同時期に航海を行うこととなり,今回私はその両方に乗船する機会を得ました.

私のこれまでの乗船経験は2度とも国際的な掘削航海プログラム(IODP)でした.航海期間は2ヶ月と長く,乗船研究者は10カ国以上から集う形式です.これに対して白鳳丸は日本,マリオンはフランスが独自に有する船であり,乗組員や船内の言語は各国の言葉に従います.期間は約1ヶ月で2ヶ月を超えることはあまりないようです.私にとってIODP以外の航海経験は初めてであり,また2つの船を乗り継ぐ経験はおそらく最初で最後だろうと思います.それが航海記をまとめる大きなモチベーションです.

〜その1 白鳳丸航海前半〜
2018年も年の瀬に高知を離れ,オーストラリアのパースに向かいました.南北方向のフライトは時差も少なく比較的楽に感じます.入国審査官に航海目的と伝えると「捕鯨船じゃないか?」と確認され,日本の捕鯨活動を思わぬところで意識させられました.到着日は大晦日の朝,休みたいところですが早速停船中の白鳳丸へ向かいます.まずは船内の物品整理,やることは多くあります.今回は偶然にも日本の船「海鷹丸」も隣に停泊しており,お互いの船を訪問したり乗船研究者同士で壮行会を開いたりもできました.海外にいながら大勢の日本人で南大洋に向かうことに,どこか心強さを感じました.

白鳳丸航海の前半に乗船するメンバーは修士学生が中心で,私には中堅の立場が求められます.私の主な役割は海水をろ過し,小さなプランクトンを採集することです.船には表層の海水を汲み上げるポンプがあり,船内の蛇口をひねると海水が出てくる仕組みです.船が移動しながらもサンプリングができ,特別な時間や費用をかけることなく貴重な試料の採取ができます.蛇口に水道メーターを取り付け,特殊な網を設置します.これから毎日,蛇口をひねり試料採取(観測)を続けることになります.

こうした作業を船内で行うには1つ問題があります.それは船が揺れることです.物が動かないようにロープで固定する必要があり,最大の問題は船酔いです.船が出港して間もなく,比較的揺れの強い日がありました.気持ちとしては観測を始めたいものの,船酔いでそれどころではありませんでした.何度か乗船経験を重ねても,やはり船酔いは避けられないと諦めます.学生にも船酔いがみられ,それぞれ酔い止めを飲んで休むことになります.揺れが収まると,いよいよ観測開始です.とはいうものの,海の現場観測について経験は多くありません.試行錯誤して,なんとか試料採取を進めていきます.

続いて船内生活について紹介します.まずは食事,IODP船に乗船したときはアメリカ料理であり,私の体にはとても合いませんでした.今回は日本の船であり,ご飯がいつでも食べられる,それだけで結構うれしいものでした.加えて2日に1度,湯船に浸かることができ,お風呂好きの私にとってポイントが高かったです.そして日本語を話して過ごすことができる.海外船では日常が外国語になるため,知らず知らずにエネルギーを使います.船は半閉鎖環境であり,些細なことでストレスがたまりがちです.母国の船に乗船することは,言葉の苦労を和らげる観点で大きなメリットだと感じました.

オーストラリアからインド洋を西に横断し,寄港地モーリシャスが近づいてきます.モーリシャスの排他的経済水域(EEZ)に入ると基本的に観測を行うことはできません.研究のためには観測を続けたいですが,仕方ない気持ちで観測を終えます.モーリシャスに寄港して上陸すると,その暑さが際立ちます.リゾート地として有名なモーリシャスですが,港はそうではなく,現地の人が多いです.市場など周囲を半袖短パンで歩いて回ります.モーリシャスでは白鳳丸航海後半の乗船者と合流しました.本航海の重要観測はこちらで,これから南極付近へ向かいます.乗船研究者一同での打合せが始まり,密度の濃い1ヶ月になりそうです.
〈その2へつづく〉

2018/12/28

太平洋のシーソー

シーソーに小さい頃よく乗りました.両端の人の位置や重さなどでシーソーは動きを変えます.支点力点作用点,シーソーの力学です.もっと大きなスケール,地球の気候変動にもシーソーはたとえられます.バイポーラーシーソーといって,北半球と南半球で温暖化や寒冷化のタイミングが異なる現象が知られています.

今回私が扱うのは,東西方向の地球のシーソーです.現在の太平洋の熱帯付近では,貿易風(東風)の影響によって西に暖かい水,東に冷たい水が存在しています.つまり東西で等しい温度の線を引くと,西に向かって深くなります.西側に傾いたシーソーですが,仮に太平洋のシーソーと呼びます.

このシーソーの傾きは,数年スケールで変化しています.エルニーニョ現象やラニーニャ現象です.エルニーニョ時には貿易風が弱まり,東西太平洋の温度差が小さくなります.つまり,通常よりもシーソーの傾きが緩やかになります.ラニーニャ現象はこの反対です.こうした太平洋のシーソーが,過去の温暖期や寒冷期にどう変化したかという興味が今回の研究の動機です.

今から約1500万年前の温暖期,二酸化炭素濃度は現在よりも高い430ppmに及んだと考えられています(Super et al., 2018).その後の寒冷期で約300ppmに減少し,南極氷床も発達したと報告されています.この温暖期と寒冷期を挟むように海水温の記録(微化石の酸素同位体比)を復元しました.

約0 mと200 mの東西海水温データを基に,私は従来通りの解析を進めました.それは水平方向や垂直方向に温度の差(勾配)を求めて(図左のオレンジと水色),気候変動の前後でどう変化したかを調べることです.
しかし考察を進める中で,私が議論したいことは傾きのあるシーソーなのに,直線的な差だけで議論することに何かずれを感じました.試しに斜めの温度差を求めてみますが(図右の紫と緑色),そんな解析をしている先行研究は見当たりません.つまり斜めの温度勾配が持つ意味を初めて考えなければなりませんでした.

並行して,太平洋のシーソーのイメージを図化できないか考えていました.現在の観測データに等温線を引くとシーソーに見えるのだから,約1500万年前のデータにもひとまず等温線を引いてみました.そして時系列で等温線を作成すると,どうやら等温線の傾きや本数が変化しているように見えました.注意して解析を進めると,先に述べた斜めの温度勾配と等温線の変動が関係することに気付きました.

約1500万年前の温暖期に斜めの温度勾配は減少し,等温線の傾きは緩やかになっていた.すなわちシーソーの傾きが緩やかになったと考えられます.一方で寒冷期には斜めの温度勾配が増加し,等温線の傾きは急になっていた.つまりシーソーの傾きがきつくなったと考えられます.

今回の研究成果を確からしいとするには,今後さらに証拠が必要です.それは私が用いた海水温の記録(酸素同位体比)が厳密には塩分の影響を受けること,そして東と西のわずか2地点で議論していることが理由です.異なる海水温の指標を併用すること,東西太平洋のデータを追加することが重要です.しかし少なくとも今回の研究で,太平洋のシーソーを評価するための新たな見方を提示することができました.

雑誌論文(Matsui et al., 2017)や学会発表を通じて,少なからず「その見方は今までなかった」と言っていただけました.複雑さを求めると見落としてしまうシンプルさ,という意見もありました.コペルニクスの地動説が180度見方を変えたならば,もちろん比べることもできませんが,斜めに考えた今回の研究は45度見方を変えたことになります.見方の転換ができたのは,データにじっと向かい合ったことが大きいと考えています.

公園のシーソーは力学の原理を教えてくれます.地球のシーソーを調べることは気候変動について重要なヒントを与えてくれそうです. 

2018/11/11

5000枚のEvernote


情報やアイデアをどこに保存しておくか.以前は手帳をはじめ紙媒体が基本でしたが,パソコンの発達でデジタルに保存する選択肢が生まれました.

梅棹忠夫著「知的生産の技術」で推奨されたのは京大カード方式.私も一度試しましたが,カードのアナログ情報とパソコンのデジタル情報が分散し,断念しました.

そこで使用したのはデジタル情報のカードであるEvernote.使い始めて5年,カードは5000枚を超えました.60ページノートに貼れば約80冊に相当します.

情報データベースはその数が多いほど威力を発揮するといわれます.特に以前の情報を見直すことで,新旧のアイデアが混じり合い着想が発展します.

今回は5000枚の割合をチェックしてみました.大まかに見て研究関連が46%,趣味関連が44%と近くなりました.

研究関連の中身は先行研究をはじめインプットが半数以上,残りは自分の着想と論文として公表済の情報です.

論文ひとつ仕上げるのに150以上のカードが必要でした.着想のカードは約400枚なので論文のタネふたつ分になります.

趣味の方は気になったメモ(インプット),読書メモ,思い付きが3分の1ずつ.研究ほどインプットは必要でなく,体験や経験から思い付きが生まれます.

割合をチェックできたところで,これが最適かどうか.研究面では公表済を増やすこと,趣味面は思い付きを形にすることが必要です.

デジタル時代は情報が氾濫する分,いかに取捨選択するかが鍵になります.その情報を活用し,私のブログも更新を重ねます.

2018/05/27

博士取得から1年

末は博士か大臣か.昔は同等だったかもしれないですが,今は大きな差があります.博士となっても就職への道は険しく,ポスドク問題と呼ばれています.博士の学位取得まで最低9年,大学を卒業し学士になるまで(4年)の倍以上の時間を要します.しかし多くの企業が求めているのは修士(6年)までであって,博士への門戸は広くありません.あまり専門的すぎて,企業での新人教育になじまないのが1つの理由です.

私の場合,博士取得が近づくなかで就職活動をしていなかったことは明らかでした.同期の幾人かはすでに行く先を決め,そうでなくても就活をしていました.私は片手で数えられるほどしか応募しておらず,決まっていないのも当然でした.アカデミックに残るためには業績も足らず(当時筆頭1本),といってどんな企業を希望するかも定まっていない.博士は取得できたものの行く先がない状態で,研究生としての生活が始まりました.

研究生という立場はやっかいで,普通博士卒の人を想定していません.まず研究室に所属するため,授業料を払わないといけません(大学によって制度に違いあり).しかし正規の学生ではないため学生向けの支援は当てはまりません.大学内でアルバイトをしながら,残りの時間で研究する.大学で9年間かけた学位の価値とはいったい何だろうか.そうまでして自分がやりたいことは何なのか考えさせられました.

苦しい選択も少しはプラスの面がありました.アルバイトでは大型化石を扱ったり,別の研究分野にも触れました.限られた時代の微化石,自分は細分化した研究をしているに過ぎないと気付かされました.2本目の論文が受理されて,研究の醍醐味を感じ始めてもいました.研究室を中心とする周囲のサポートも大きかったです.この1年を乗り越えればどうにかなる,そんな願いを持ちながら進めていました.

研究の一環で2ヶ月の乗船航海にも参加しました.進路に不安があるなかで日本を離れることに抵抗もありましたが,実際には2度目の乗船であり,微化石のグループでは中堅の役割を求められました.英語でコミュニケーションを取りながら,研究データを集めレポートを執筆する毎日.初めての乗船に比べればやはり成長がある.自信を持っていいと感じました.

1年を待たずして転機となったのは,つくばへ移動するという案です.異なる研究機関に籍をおくことで,研究のネットワークを広げ次のステップにつなげる.現状を脱するためにつくばへの移動準備を始めました.そんな中,かねて応募していた高知大学の公募に内定をいただきます.研究生の状況からすれば,つくばに移動するだけでも大きな環境の変化でしたが,さらに高知へ移動するとはまさに予想もしていませんでした.

高知大学の公募は南極を対象にした大きな研究プロジェクト.私のこれまでの研究は熱帯域であり,対象とする地質時代も同一ではありません.微化石研究の基礎を今まで身につけたとすれば,応用していくことが求められています.生来の性格ながら,やはりアピールが弱い自分です.大きなプロジェクトの一員となり,私はどう貢献できるかを示さなければ次につながりません.ここで着実に成果を残すことで,関心分野や研究コミュニティも一気に広がります.

博士取得後に研究者を志す人の進路は,任期なしの大学教員や研究員,任期付きの教員や研究員,学振特別研究員など.私の業績(筆頭論文2本)では,任期なしはもちろん任期付き研究者への採用も簡単ではありません.業績が少ないなかで特任教員に進むまでには,周囲のサポートが絶対的に必要でした.そして少なくないチャンスを与えられていると感じています.研究者になるまでを階段に例えるなら,博士から任期付きの研究者になるまでが一段.そして任期なしに移行するのがより大きな一段.自分のはしごをもう幾段か高くして,次の段を目指します.

2017/03/01

英語を英語のまま

高校の英語の授業1回目.先生はひとつの目標を定めた.「英語を英語のまま理解しよう.」中学英語を学び終わったばかりの私には,十分に意味が呑みこめなかった.電子辞書を持ち歩き,当面は大学受験のために勉強した.センター試験で一定の点数には達しても,英語を話せるか?といえばNOだった.

英語への見方を変えたのは,ネイティブによる大学の授業だった.丁寧に英文を日本語に直したり,英作文をしたりするのではなく,WEBの英文記事や洋書の多読を活用した内容.辞書を引くことよりも,多くの英語に触れることを優先していた.

授業を受けてから実際に英語を活用するまでには,さらに時間を要した.外国での短期間の研究や研究室での留学生との意思疎通,必要に迫られて英語に向かった.帰国子女でもなければ海外旅行の経験もない.生きた英語に初めて触れ,「英語を英語のまま」という意味を考え始めた.

まずは大学受験で求められる英語力.多くは英語を日本語に,日本語を英語にするトレーニング.一方で現実にコミュニケーションをとるための能力.英語を聞いてから話すまでに日本語を介していては,応答が遅くなる.コミュニケーションに適するのは「英語を英語のまま」.

現実に英語を使うために,私が重視するトレーニングは次の3つ.
(1)日本語英語交じりよりは,英語だけの教材に向かう.簡単な単語だけの洋書もある.英語→日本語,日本語→英語の流れを英語→→英語に近づけられる.
(2)英語に触れる量を増やす.なぜ日本語が話せるか.それは生まれたときから日本語に触れているから.コミュニケーションをとりたい気持ちがあるなら,質よりも量.
(3)母国語の力を伸ばす.日本語環境で生まれた人は,英語がどれだけ得意でも日本語よりは運用できない.日本語能力が英語能力の上限値を決めているはず.

私がTOEICで900点を超え,英語を英語のままに近づけたのは(3)が大きく影響している.英語のトレーニングを通じて英語特有の表現方法を知る.同時に日本語が得意とする表現の仕方に気付く.ことばを面白いと思い,英語と日本語をどちらも磨いていく.

例えば英語は結論が文のはじめに来て,日本語は最後に置かれる.論理的な文章は英語の方が得意.英語は常に主語を意識するけれど,日本語はそうでない.言語の違いは背景の文化や思想が異なることも意味する.ことばを知ると,単なるコミュニケーション以上に他者の理解につながる.

日本語がはじめにあって,英語は二の次という考え方は,藤原正彦さんや斎藤孝さんの著書にもみられる.小学生から英語を教えるよりも,国語の時間を増やすべきという意見に賛同する.日本語能力が低下すれば,さらに英語が苦手になってしまうかもしれない.

英語を英語のまま理解することは簡単でない.けれど最低限のコミュニケーションをとるための英語力は,幸いにも年齢に関わらず習得可能らしい『英語学習は早いほど良いのか(岩波新書)』.高校の先生が定めた目標は,3年では難しくも到達のチャンスは一生ある.