2016/05/03
21年目のテスト
小中高大,4つの教育課程を過ごして,いよいよ最終学年を迎えた.「なんでそんなに勉強しているの?」と周囲からはよく聞かれる.学生=勉強であるなら,テストもまた,学生につきものかもしれない.私も20年の学生生活で,様々な”テスト”に接してきた.
小学校に入学して最初のテストは,10点満点の漢字ドリル.10点をとると,先生が花マルをくれた.大きなマルは,子どもごころにうれしかった記憶がある.いつしかテストは100点満点となって,みんなが結果に一喜一憂していた.
中学校では通常のテストに加え,よくコンクールが開催された.漢字や英単語を覚えるために,ノートを文字いっぱいに埋めた.当時手書きした単語は,今でもすんなり書くことができる.高校以降に習った単語の忘れ具合をみると,反復学習の効果は大きい.
高校に入ると,大学受験を見据えてテストの重要性が一層高まった.難易度も高くなって,赤点をとることもあった.テストの上位者が貼りだされる仕組みで,自分の名前かと思うと,名字が一緒の友達だったりした.
小中高のテストについて共通項を挙げるならば,ひとつはみんなが同じテストを受け,比較可能であること.軸はひとつで,点数の高い方が優れている.もうひとつは「答えのある問い」であること.問題集にも必ず解答集やヒントが付いている.
しかし大学に入ると,まずテストの軸が複数になった.専門分野ごとに受けるテストが異なり,隣の学生と単純に成績を比較することはできない.さらに先生側も,テストで良い点をとることをあまり求めない.受験勉強とは異なる”勉強”が求められた.
専門分野のテストを受ける一方で,大学3年次には研究室に配属された.教員から与えられたテーマについて,教科書やネットで関連する内容を探す.教科書の記述も,ネットの件数も驚くほど少ない.初めて,「答えのない問い」にぶつかったことに気付いた.
「答えのある問い」から「答えのない問い」へ.テストでいえば,点数欄がなくなってしまった.知識を問われるのではなく,思考力が要求される.卒論,修論を通じて,考え得る解答を提出する.解答に向かう道は曲がりくねり,むしろ間違えることが,筋道を示すこともあった.
いつからか私は研究者を志望し,博士課程に進んだ.修士課程までとの違いは,教員がすべてのテーマを与えてはくれないこと.学生は,ある程度独力で課題を設定する必要がある.「答えのない問い」から「問われることのない問い」へ.テストを受ける側から,作る側へ.
3種類の問いは積み重なっている.「答えのある問い」に答え,知識を身につける.その知識をもって,「答えのない問い」に挑む.多くの問題解決を通じ,何が問われていて,何が問われていないかを把握することができる.
問題解決力,課題設定力の向上を目指して,21年目のテストに臨む.「なんで勉強しているの?」という問いへの答えはあるか,それともないか.卒業するころには,自ら納得できる答えが出せるかもしれない.