末は博士か大臣か.昔は同等だったかもしれないですが,今は大きな差があります.博士となっても就職への道は険しく,ポスドク問題と呼ばれています.博士の学位取得まで最低9年,大学を卒業し学士になるまで(4年)の倍以上の時間を要します.しかし多くの企業が求めているのは修士(6年)までであって,博士への門戸は広くありません.あまり専門的すぎて,企業での新人教育になじまないのが1つの理由です.
私の場合,博士取得が近づくなかで就職活動をしていなかったことは明らかでした.同期の幾人かはすでに行く先を決め,そうでなくても就活をしていました.私は片手で数えられるほどしか応募しておらず,決まっていないのも当然でした.アカデミックに残るためには業績も足らず(当時筆頭1本),といってどんな企業を希望するかも定まっていない.博士は取得できたものの行く先がない状態で,研究生としての生活が始まりました.
研究生という立場はやっかいで,普通博士卒の人を想定していません.まず研究室に所属するため,授業料を払わないといけません(大学によって制度に違いあり).しかし正規の学生ではないため学生向けの支援は当てはまりません.大学内でアルバイトをしながら,残りの時間で研究する.大学で9年間かけた学位の価値とはいったい何だろうか.そうまでして自分がやりたいことは何なのか考えさせられました.
苦しい選択も少しはプラスの面がありました.アルバイトでは大型化石を扱ったり,別の研究分野にも触れました.限られた時代の微化石,自分は細分化した研究をしているに過ぎないと気付かされました.2本目の論文が受理されて,研究の醍醐味を感じ始めてもいました.研究室を中心とする周囲のサポートも大きかったです.この1年を乗り越えればどうにかなる,そんな願いを持ちながら進めていました.
研究の一環で2ヶ月の乗船航海にも参加しました.進路に不安があるなかで日本を離れることに抵抗もありましたが,実際には2度目の乗船であり,微化石のグループでは中堅の役割を求められました.英語でコミュニケーションを取りながら,研究データを集めレポートを執筆する毎日.初めての乗船に比べればやはり成長がある.自信を持っていいと感じました.
1年を待たずして転機となったのは,つくばへ移動するという案です.異なる研究機関に籍をおくことで,研究のネットワークを広げ次のステップにつなげる.現状を脱するためにつくばへの移動準備を始めました.そんな中,かねて応募していた高知大学の公募に内定をいただきます.研究生の状況からすれば,つくばに移動するだけでも大きな環境の変化でしたが,さらに高知へ移動するとはまさに予想もしていませんでした.
高知大学の公募は南極を対象にした大きな研究プロジェクト.私のこれまでの研究は熱帯域であり,対象とする地質時代も同一ではありません.微化石研究の基礎を今まで身につけたとすれば,応用していくことが求められています.生来の性格ながら,やはりアピールが弱い自分です.大きなプロジェクトの一員となり,私はどう貢献できるかを示さなければ次につながりません.ここで着実に成果を残すことで,関心分野や研究コミュニティも一気に広がります.
博士取得後に研究者を志す人の進路は,任期なしの大学教員や研究員,任期付きの教員や研究員,学振特別研究員など.私の業績(筆頭論文2本)では,任期なしはもちろん任期付き研究者への採用も簡単ではありません.業績が少ないなかで特任教員に進むまでには,周囲のサポートが絶対的に必要でした.そして少なくないチャンスを与えられていると感じています.研究者になるまでを階段に例えるなら,博士から任期付きの研究者になるまでが一段.そして任期なしに移行するのがより大きな一段.自分のはしごをもう幾段か高くして,次の段を目指します.