大学入学から4年間,環境サークルRNECSで身近な環境活動を行ってきた.活動を通じて他大学の学生,環境NGOや市役所の方とお話しすることもあった.そうした活動の中で,私の見方を変えたいくつかの話を紹介する.
はじめは,環境にやさしいという言葉.環境サークルが活動を発表し合うコンテストに参加したときのこと.ある団体がプレゼンの中で,「人にやさしく,環境にやさしい~さん」というキャッチフレーズを使った.
プレゼン後の審査員が所見を述べる.一人の審査員が諭すように伝える.「環境にやさしい,という言葉はあまり使ってほしくない.まるで人間と地球が対等のようであり,環境に関わる人の使う言葉としてはふさわしくない」
そのメッセージは,まさに自分が感じていた違和感でもあった.人間と地球が対等であれば,やさしく接することも,厳しく接することも許される.しかし地球の存在に比べれば人間は非常に小さく,むしろそれ以外の生命や物質で地球は満ち満ちている.
例えばある家庭において,両親が子どもにやさしい,は有りえても,子どもが両親にやさしい,と言うことはできない.それは両者の立場が明らかであり,通常子どもは親を敬い従うことが求められるからである.人間と地球環境との関係は,子どもと親との関係にたとえられる.
環境へ配慮した,環境負荷を低減した,言い方はどうあれ,人間の環境に対する立場をわきまえなければならない.地球のバランスを崩さないように配慮をすることが,人間に求められているのではないか.
次に,環境活動としてよく知られているリサイクル.NGOの方が飲料品について話してくれた.容器として用いられるペットボトルとアルミでは,リサイクルのコストが異なる.アルミニウムはリサイクルの優等生.原料のボーキサイトから精製するよりも,リサイクルして再びアルミニウムにする方がコストが抑えられる.
しかしペットボトルは,リサイクルに大量のコストがかかってしまう.成形が自由にでき,適度な強度をもち,そして安価に生産できる素材の優れた性質が,かえって再生後の用途を限定してしまう.ペットボトルはリサイクルするよりも,新たに作った方が安いといわれる.
もし自販機で缶とペットボトルが陳列されていたら,缶を選びリサイクルする方が,環境負荷が小さいわけである.しかし,とNGOの方は続ける.「ビンカンも可能な範囲で利用を控えるべき.なぜなら水を輸送するコストは大変大きいから.」
例えば水筒を持ち歩けば,自宅の水道を利用することができる.水道はインフラとして整備されており,最も環境負荷を小さくできる.現実には水を輸送するために,ガソリンを使いトラックが長距離を移動する.ときには外国から飛行機で運ばれる.
近ごろ商品表示に二酸化炭素発生量を記す試みがあるけれど,私としてはむしろ,使用した水の量を示すべきだと感じている.気体の二酸化炭素より液体の水の方がイメージしやすいし,いかに多くの水が使用されているかを知ることができるからである.
最後に,環境配慮のひとつの方策であるリユース.レジ袋の代わりにマイバッグが推奨されるように,割り箸の代わりにマイ箸を持ち歩こうという試みがある.しかしマイ箸には,洗わないといけない手間や,外食時の衛生面の問題があり,マイバッグほどには普及していない.
こうした問題点を解決する手段として,私が出会った人は,間伐材の割りばしを持ち歩いていた.マイ箸ではなく,間伐材の割りばしであれば,衛生面はクリアできるし,日本の林業の助けにもなる.Win-Winだと素直に納得し,私も実践を始めた.
ペットボトルや缶飲料を控えることは,嗜好を制限することで,現実的には難しい.しかし間伐材の割り箸使用には比較的メリットを感じる.人が生活する上で,環境負荷を避けることはできないけれど,その環境負荷を低減する選択肢は無数に存在する.無理なく,納得できる環境活動を選択する人が,環境に”やさしい”と私は考えている.